アイドル編<461>三木聖子(下)
「反省はしていますが、後悔はまったくないです」
三木聖子(福岡県久留米市出身)は突然、芸能界から引退したことをこのように振り返る。1975年に俳優、翌年には歌手としてデビューした。順調な歩みだったが、わずか2年間で芸能界から姿を消した。引退した理由について聖子は短い言葉で表現した。
「芸能界は自分の居場所ではなかった」
当時、自ら申し出た引退は、急な話だけに周囲にとっては「わがまま」とも受け止められた。10本以上のテレビドラマに出演し、レコードも3枚のシングルとアルバム1枚をリリースしていた。女優、歌手としてそれなりの位置を確保していたのだ。
「我慢強さがなかったかもしれません。あまりにもとんとん拍子に進んだので…」
下積み生活を経験せずにスポットライトを浴びたことで、芸能界という厳しい環境を生き抜く強い耐性が欠けていた面もあった。20歳の若さにとっては無理からぬことだった。
「でも、この2年間の私の闘いはその後の人生を支えています」
× ×
聖子は引退後、芸能事務所のスタッフとして仙台市に移り、家族をつくった。一時期、仕事から離れていた。94年に仙台市内にスナック「MuMu」を開いた。
「知人から空いた店を紹介されて決めました。働くことが大好きなんです」
客から「『まちぶせ』を歌って」のリクエストもある。聖子は「もう声がでないので」と、一端は断るが、マイクを握ることになる。
<好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと もうすぐわたし きっと あなたをふりむかせる>
2011年、東日本大震災で被災した。それでも店を1週間だけ閉めただけで、たくましく再起した。
17年には東京都・銀座に進出、ミニクラブ「MuMu」も開店した。ここでも苦難が待ち受けていた。新型コロナウイルスである。政府の自粛要請を受け、4月に入ってから休業している。聖子は力強く語った。
「この先、どうなるかわかりませんが、東日本大震災のときと同じように必ず乗り切っていきたい。乗り越えます」
今は店で「まちぶせ」を歌うことができる日を心待ちしている。
=敬称略
(田代俊一郎)