公式確認64年 水俣病は終わっていない

西日本新聞 オピニオン面

 熊本県・水俣湾近くに住む5歳と2歳の姉妹らが原因不明の病になり、入院先から水俣保健所に報告された。この日、1956年5月1日に「公害の原点」水俣病は公式確認された。あす、それから64年となる。

 「公害を一度起こしたら、半世紀以上も向き合わなければならない」-今なお続く被害者らの叫びは、水俣病問題が未解決である現状を端的に表現している。全面的な解決に向け、原因企業はもとより国と熊本県は責任を果たさなければならない。

 水俣病発生の原因は、チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を湾に流し続けたことだ。疑いは早くからあったが、国や県は規制をせず、施設操業は68年まで続いた。住民の健康より経済の論理が優先されてしまった結果だ。その理不尽さは戦後社会の負の側面を今も私たちに突き付ける。

 さらに近年、水俣病への関心は世界に広がっている。水俣病の反省にも基づく「水銀に関する水俣条約」は2017年に発効した。日本や米国、欧州連合(EU)など70余の国・地域が加盟し、水銀汚染による健康や環境への被害防止を目指す。

 今年2月のベルリン国際映画祭では「MINAMATA」が上映され話題になった。水俣病を世界に伝えた米写真家ユージン・スミス夫妻の写真集が原作の作品だ。スミスを演じたジョニー・デップ氏は「(患者の苦しみが)今も続いていることがショックだった」と述べた。

 この映画と条約は被害者の悲痛な訴えが続くことなしに生まれることはなかった。教訓を語り継ぐ意味は今なお大きい。

 国が水俣病と認定し、経済的にも補償対象とした患者はこれまで2200人余にすぎない。その症状や居住地域を限定的に定義したため、多くの人々が認定申請を棄却されている。

 そうした中で最高裁は04年、被害拡大を防げなかった行政の責任を認定し、国の認定基準より幅広い救済を認めた。これを受けて制定された被害者救済法で、国は未認定だった5万3千人余を被害者と認めて、救済の道を開いた。それでも対象外とされる人々はおり、司法に救済を求める動きがなくならない。

 最終解決を阻む壁がいくつか挙げられる。過度と言える認定基準の厳しさ、差別を恐れて進む被害の潜在化などに加え、被害者の地域的広がりが解明されていない点も大きい。

 救済法の対象地域(熊本、鹿児島両県6市3町)外にも特有の感覚障害を訴える住民は存在する。地域を拡大した実態調査の必要性を改めて指摘したい。

 水俣病は決して終わっていない。

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