ポール木村と出会う ビートルズになりたくて(3)

西日本新聞 筑豊版

ザ・フライングエレファンツ安部米央が語る「筑豊のビートルズ」

 運命の出会いは1970年でした。そのころ私はデザイン学校に通っていました。学校の友人と英彦山でキャンプをした際、友人の一人が別のグループで偶然居合わせたある男を紹介してくれました。それが、ベース担当の木村康治です。

 木村は同じ田川市内にいたので「ポール・マッカートニーに似たやつがいる」とうわさを聞いていました。一方の私も地元で「ジョン・レノンにそっくり」と言われており、木村の耳に届いていたようです。「ビートルズのどんな曲をしてるの」という簡単なやりとりをして、「じゃあ今度うちにおいでよ」と声を掛けてその日は終わりました。

 デザイン学校を卒業した後、音楽で成功する近道と思い、東京に行きました。3年ほどいましたが、結局、駄目で。広告会社の知人の紹介で飯塚市のさかえ屋に勤めることになり、田川市に戻りました。ちなみに、さかえ屋の四つ葉のマークは、私が手書きでデザインしたものなんですよ。

 音楽活動にも動きがありました。高校から一緒にバンドをしていた武貞道則が私の家に木村を連れてきたので、早速、音合わせ。曲はビートルズの「恋におちたら」です。歌った瞬間に思いましたよ。「こいつは一緒にやる仲間だ」って。

 それは、ジョンとポールの出会いのようでした。ポールがジョンのバンドの演奏を見て彼に引かれ、そのステージの後、ジョンもポールの音を聞いてほれ込み、2人はパートナーになった。自分たちもまるで、楽器の音や声が、カメラのピントがバチッと定まるように合ったんです。木村も同じようなことを思ったみたいです。

 73年、私と武貞と木村はバンドを結成しました。当時、動物の名前を使ったバンド名が多く、象だけが見当たらなかったので「ザ・エレファンツ」に。でも、それだけじゃさみしいので、ディズニーの人気キャラクター「ダンボ」をイメージして「フライング」を付けました。少し長い気もしましたが「聞き慣れたら大丈夫だろう」ということで「ザ・フライングエレファンツ」に決まったんです。

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