メジャーからの誘い ビートルズになりたくて(6)

西日本新聞 筑豊版

ザ・フライングエレファンツ安部米央が語る「筑豊のビートルズ」

 甘木(現・福岡県朝倉市)に通うこと半年、アルバムが完成しました。木村と「どの曲も良いね」という話になり、名前は自慢の11曲という意味で「コンフィデント11」に決め、私がアルバムジャケットを作り、1989年12月に発売しました。

 明治屋産業に使われていた「ナウ マイ ラブ」を含め、9曲が紳士服や住宅メーカーなどのCMソングに。九州・山口エリアで流れ、新聞やテレビの取材を受けるようにもなりました。この時期は、周りの人から「テレビに安部米央&フライングエレファンツって出とったよ」とか「CMで流れるビートルズみたいな曲、安部さんたちよね」って言われて「そうよ、そうなんよ」と話をする機会も増えました。こういう、ちょっとした言葉に勇気づけられましたね。

 各地のイベントでも、多くの方が私たちを見に集まってくれるようになりました。以前、キャバーンクラブの出演を始めた頃について「メンバーは音楽活動について疑心暗鬼な部分もあった」とお話ししましたが、こうして注目度が高まっていることを肌で実感するようになって、みんなの気持ちはバンド活動に向いていきました。

 CMの影響は大きく、アルバム5千枚はインディーズながら完売。こうした情報が届いたようで、キングレコードから「音源だけで良いからCDを作りませんか」と話をいただきました。普通はレコード会社からデビューする際は、宣伝活動を積極的に行うもので、全国各地で演奏したり取材を受けたりしないといけないんですが、CDだけのデビューで良いというお話で。

 私たちは本業もあり、子どもも小さかったことから、バンドの活動スタイルに合致していますし、ビートルズを目指してきた以上、有名になりたいという思いはあったので喜んで引き受けました。好条件で国内大手のキングさんに声を掛けてもらえるなんて本当にありがたかったです。

 そして、最初のアルバムを発売してからちょうど1年後の90年12月、私が40歳のときにシングル「ナウ マイ ラブ」でメジャーデビューを果たしました。

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