元航空兵、苦難の足跡たどる 亡父の自伝遺稿見つけ「親孝行」の出版

西日本新聞 筑後版 片岡 寛

 福岡県小郡市山隈の人見千枝子さん(71)が、2010年に94歳で亡くなった父廣幸さんの旧日本陸軍時代11年の足跡をたどる自伝「追憶の賦-遥(はる)かなる山河」(非売品)を自費出版した。大空に憧れ、18歳で陸軍大刀洗飛行場の飛行第4連隊に志願入隊し、中尉として終戦を迎えるまでがつづられている。

 廣幸さんは1916年、旧立石村(現小郡市)生まれ。東洋一とうたわれた大刀洗飛行場のそばで第4連隊の起床、就寝ラッパを聞いて育った。入隊理由を「早く軍人になって国を守らなければならない。祖先墳墓の地を守りたいという信念を抱いたのは、自然のなりゆきだった」と記す。

 35年に第4連隊に入隊すると、すぐ満州国へ転属。38年に埼玉県の陸軍飛行学校に入り、翌年に初の単独飛行を許された。「愈々(いよいよ)助教殿に『一人で行ってこい』と言われた時の嬉しさ、兎(と)に角(かく)、例(たと)えようのない位(くらい)嬉しかった」。練習機で大空を舞った感激は、生涯の思い出となった。

 太平洋戦争では偵察機部隊としてベトナムやビルマなど南方戦線に参加。44年に千葉県の陸軍航空士官学校で少尉に。45年、海上から敵潜水艦を探す対潜哨戒飛行隊に配属され、新潟で終戦の玉音放送を聞いた。

 隊の教官や整備班長を兼ねていた廣幸さんは残務整理を任された。「自らの手で生死を共にした愛機のプロペラを取り外し、二度と飛べないように処置しなければならぬとは…(中略)屈辱の日が続いた」。自決も考えたが、地元村長の説得もあり断念。47年に帰郷した。

 戦後は福岡県庁勤務を経て陸上自衛隊へ。定年まで北部九州の駐屯地を転々とした。大刀洗平和記念館の前身の私設記念館が87年にできると顧問に就き、戦友会の人脈を生かして展示品の充実に尽くした。

 「戦後、肉親を失い家を焼かれ、夢も希望もなくし、屈辱に満ちた苦難の時代があったことを私共(わたしども)は決して忘れてはならない。風化させては、ならないのであります」。前書きには、過酷な戦争を生き抜いた語り部としての責任感から筆を執った理由をつづった。

 千枝子さんによると、廣幸さんは家族に戦時中の話をほとんどしなかった。昨春、遺品整理を始めると、25年ほど前に書かれた自伝の遺稿や年表が入った大きな封筒を見つけた。「私にできるたった一つの親孝行として、何としても本にしよう」と、遺稿を清書して自費出版した。

 平和記念館(休館中)は、勲章や賞状など廣幸さんの遺品約300点を所蔵、一部展示している。 (片岡寛)

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