カーネギー決まった ビートルズになりたくて(7)

西日本新聞 筑豊版

ザ・フライングエレファンツ安部米央が語る「筑豊のビートルズ」

 メジャーデビューに至ったのはアルバム「コンフィデント11」の評判がきっかけですが、それをやろうと最初に私へ提案したのは当時マネジャーだった中野貢でした。

 川崎町で電気屋を経営していた中野は、元々は私たちのファンの一人。同町にある手島の酒屋に彼も私もよく飲みに行っていたので、顔見知りになりました。それから「次はどのステージに出るん? 俺も行くき」と、手伝ってくれるようになりました。これまで私一人でオファーを受け、打ち合わせをしていたのですが、中野の申し出により、マネジャーを任せることにしました。

 彼は行動力のある男でした。私たちはいつも冷静沈着に考えながらバンド活動を進めていたので、最初は「突拍子もない男が現れたな」と遠目で見ていた部分もありました。

 そんな彼が言い出したのが、世界中の音楽家が憧れ、ビートルズも公演した米国のカーネギーホールでのコンサートでした。1991年の10月ごろだったでしょうか。彼はバンドのスタッフと、エレファンツのアルバム1枚を持って、なんのつてもなく米国へ直談判に行きました。私たちも若くはないし「日本で地道に活動するより一気に世界に行った方が知名度が上がる」という考えだったようです。

 普通は業界の人を介して交渉するのが正攻法。「どうせ無理だろう」と私たちは、軽い気持ちで送り出したんですが、数日後の午前4、5時くらいでした。「安部さん、決まったばい」と電話がありました。「決まったってカーネギーが?」と問うと「そうよ、そうよ」と興奮気味。同ホールと3度目の交渉でOKをもらえたそうで、そこまで頑張ってくれたんですから断るわけにはいきませんでした。

 とはいえ、突然決まった大舞台。これまで公演した日本人は、五木ひろしさんや加藤登紀子さんら大物歌手で私たちが5組目。自分たちに起こった現実とは思えませんでした。中野の帰国後、英語で書かれた仮契約書を見せてもらいました。このとき「本当にやるんだ」という実感がじわーっと湧いてきました。

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