平野啓一郎 「本心」 連載第237回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 兄は最初、それを躊躇(ためら)っていたが、結局、聞き容(い)れる。死の一瞬前、兄とともにいられた弟は、初めてその表情に、幸福をありありと湛(たた)えるのだった。

 幸喜はその後、自ら出頭し、自殺幇助罪(じさつほうじょざい)で執行猶予付きの有罪判決を受ける。映画は、接見した弁護士との会話の場面から始まり、回想として全体を語り終えた後に、またここに戻ってくるのだった。庄兵衛(しょうべえ)という原作の同心が、庄司(しょうじ)という名前のこの弁護士だった。

 イフィーは、藤原亮治の戯曲自体は読んでないと断った上で、この映画を痛烈に批判した。声を荒らげるようなことはなかったが、抑制はしていても、その強い反発が、頬の強張(こわば)りから看(み)て取れた。僕は、彼がそんな風に憤りを露(あら)わにするところを初めて目にした。

「原作は名作でしょうけど、現代に移し替えるのは無理です。医療体制も違うし、病気の苦痛を取り除く緩和ケアも進んでるし。兄はすぐに救急車を呼ぶべきじゃないですか。助かりますよ、きっと。あれだと、安楽死を肯定しているように見えます。」

 イフィーは、当然のように、僕たち二人も、安楽死には反対していると思い込んで、同意を促した。自分の口調を少しく持て余したように、頬を緩めてみせた。

 三好は、僕の方を見なかったが、以前にファミレスで、二つ隣の子供たちが、隣の席の食べ残しに手を伸ばした時のように、気配だけは察している風だった。

「イフィーは、安楽死に反対なの?」

 三好の問いかけに、彼は一瞬、「え?」という顔をした。

「勿論(もちろん)、反対です。好き好んで安楽死する人なんていないんだし、一旦(いったん)認めてしまったら、今みたいに、弱い立場の人たちへのプレッシャーになるでしょう? 国の財政難だって。貧しい人たちは、足ることを知って、安楽死を受け容れるべきなんですか? 恐ろしい考えです。僕だって、たまたま、アバターのデザインで、社会の役に立っている、と思われてるけど、そうじゃなかったら、お荷物扱いですよ。優生思想じゃないですか、それは。」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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