陶片が語る歴史ドラマ 古賀英毅

 何も語らなかった陶片が、時を経て新たな情報を語ることもある。きっかけの一つは韓流時代劇だったという。

 佐賀県武雄市の市図書館・歴史資料館で今春あった企画展「かけらで再発見」。新型コロナウイルス感染の影響で会期途中に打ち切りとなったが、文化財調査の面白さと奥深さを再認識させてくれた。

 武雄の焼き物は16世紀末に朝鮮出兵に伴い連れてこられた「深海宗伝(ふかうみそうでん)」が創始者とされる。関連したとみられる17世紀初頭の窯跡は平成初期に調査された。窯跡の遺物を2017年度から再調査したところ、伝承を裏付ける資料を確認したのに加え、宗伝以外の陶工集団も草創期にいた可能性をうかがわせた。

 伝承の「裏付け」となったのは左右に小さな「把手(とって)」が付いた甕(かめ)が複数あったことだ。当初、単なるでっぱりとみられたのか、報告書は明記していなかった。企画の担当者はテレビの韓流時代劇を見ていて、甕に目がいった。その把手に気付き「もしかして」との疑問が浮かび、調べたところ把手と判明したという。

 このタイプの甕は日本にはほとんどないが、朝鮮半島にはよく見られる。近世陶磁器に詳しい鹿児島大の渡辺芳郎教授は「朝鮮の甕匠(かめしょう)の技術を直接ひいたものと考えて間違いない」とし、窯跡の年代から「(作り手は朝鮮から連れてこられた)1世である可能性も高い」と分析した。朝鮮生まれという宗伝と合致する。

 別の陶工集団の存在を推定したのは、ここの陶片が同県唐津市の岸岳山麓の窯跡で見つかった陶片とよく似ていたからだ。岸岳山麓の窯跡は武雄より古いとされる。かつての報告では重要視されていなかったが、研究も進み今回は「岸岳系陶工との関係を考える必要性がある」とした。

 岸岳から来た陶工もいたということだろうか。渡辺教授は「異なる技術系統を持つ複数の陶工集団が混在して窯を操業していたと考えられる」と指摘する。宗伝という創始者の存在があれば歴史はドラマチックになる。だが、実際には無名の人々の手によって武雄の焼き物は生まれたということかもしれない。

 資料をきちんと保存していれば再検討によって見逃していた事実も見つけられる。今回の企画展はそれを改めて示した。埋蔵文化財だけの話ではなかろう。

 (伊万里支局長)

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