世界の舞台、いざ開演 ビートルズになりたくて(10)

ザ・フライングエレファンツ安部米央が語る「筑豊のビートルズ」

 公演当日(1992年10月8日)の朝、滞在していたコンドミニアムには、音楽関係者やファン、取材のメディアなどが次々にあいさつに来て、せわしなく時間が過ぎていきました。そして、カーネギーでリハーサルを始めた昼すぎから「ビートルズと同じステージに立って、同じ事をやれるんだ」という期待や満足感、緊張が複雑に絡み合ったような状態になりました。

 レオン・ラッセルさんにはリハーサル前に初めて会いました。共演できて感激だ、というよりはこんな有名な方を呼んでいただいた周りの方への感謝が大きかったですね。

 ラッセルさんの他にも、現地のオーケストラやコーラスなど、多くのアーティストにご協力いただきました。その一人が、現地のツアースタッフから紹介してもらった、福岡県出身でニューヨークを拠点に活動しているジャズギタリストの吉田次郎さんです。

 彼には出国前に何度か田川に来てもらい、曲順や演出、ホールにあった音の出し方をアドバイスしてもらったほか、本番直前まで主に林のギターの指導をしていただきました。現地のアーティストの手配も吉田さんのお力添えによるところが大きかったです。

 開演直前。どんな小さな舞台でも上がる前は緊張するので、私たちは普段、冗談を言い合って気持ちを落ち着かせます。この日も、私と木村がいつも通り冗談を言い始めて手島と林が聞いていました。

 そして、平均年齢38歳の私たちの晴れ舞台が開演です。1曲目は私のソロの「イマジン」でした。「ジョンやビートルズのように、歌に込めた思いがお客さんに伝わって感動させられたら最高だな」という気持ちで臨んだのですが、司会の「ジャパニーズジョン・レノン。ヨネオウ・アベ」のコールとともに舞台中央へ向かうと、緊張でまるで雲の上を歩いているようなふわふわとした状態になりました。当たり前ですが、ホールを埋め尽くしたニューヨーカーが一斉に私を見ているんですから。喉はカラカラでしたが、お客さんの表情を伺いながら、とにかく一生懸命に歌いました。

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