平野啓一郎 「本心」 連載第241回 第九章 本心

 僕は、自分と母との会話を思い返しながら、こんな「死ぬべきか、死なないべきか」といった議論は、存外、どこででもなされている世の中なのだろうかと、ふと考えた。

 そう、その問いは、「生きるべきか、死ぬべきか」ではなかった。――「方向性」としては、「死ぬべきか、死なないべきか」の選択だった。

       *

  <母>が、吉川先生の安楽死を看取(みと)った。本人の達(たっ)ての希望とのことで、カンランシャの野崎から連絡があり、拒否する理由が何かあるだろうかとしばらく考えて、僕は同意した。

「良かったです。きっと、安心して最期を迎えられると思います。」

 野崎のそうした本心ともセールストークともつかぬ口ぶりも、相変わらずだった。

 ネットで調べれば、僕は吉川先生について、もっと多くを知り得ただろうが、意識的にそれを避けていた。<母>の中に混ざり込んでゆく男性の存在に、具体的に触れたくないという気持ちがずっとあった。今また、彼の生を知ることで、その死が僕に近くなり、重みを増してしまうことが厭(いと)わしかった。

 僕が引き受けなければならない死なのだろうかと考えて、自分の中に、冷淡な感情のあることを認めた。

 この社会の中に刻々と生じている幾つもの死。――それはそもそも、宛先の必要なものなのだろうか?

 誰か受取人がいるはずだと思えば、いないことは孤独だ。残念ながら、自分自身がその受取人になることは出来ない。家族がいて、ずっと僕の死を保管し続け、時折開封して、風通しを良くしてくれると思えたなら、死の恐怖は和らぐだろうか? そうした関係を持ち得なければ、死はより恐怖だろうか?

 もっと大きな宛先を、僕たちは平等に持っている。

 僕は、石川朔也(さくや)の死という、固有名詞を持った死を死ぬ。けれども、時とともに、段々(だんだん)と幽(かす)かになっていって、やがては同じ一つの巨大な無へと溶け入って、その存在の痕跡を失う。

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平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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