スターへの道を進む ビートルズになりたくて(12)

ザ・フライングエレファンツ安部米央が語る「筑豊のビートルズ」

 渡米直前からカーネギー公演まで、私たちはNHKに密着取材を受けていました。帰国後、それがドキュメンタリー番組「プライム10」で放送されると、エレファンツの名は全国にとどろき、次々に公演依頼が舞い込みました。

 レコード会社は、キングレコードから東芝EMIに移籍することに。親会社のEMIにはビートルズが所属していたので、3枚目のアルバム「ブリックロード」は彼らが使った英国のアビーロードスタジオで、彼らの音楽制作に関わったエンジニアとともにレコーディング。カーネギーで共演できなかったビリー・プレストンさんにも参加してもらいました。「ビートルズと同じ場所で、近いことをやっている」と感動を覚えました。ちなみに、このスタジオを日本人が使うのは初めてでした。

 アルバム制作と同時に、毎週末のようにコンサートもこなしました。北海道から沖縄まで、どこでも千人以上は集まってくれました。新聞やテレビ、ラジオ、音楽関係はもちろん、タウン誌や美容系の雑誌にも取材されました。東京公演の後、レコード会社の方から「ここまで来たから仙台に行きましょう」といきなり言われ、その足で仙台での取材へ向かうことも。

 ただ、同じ事を聞かれては回答して、というのは疲れました。取材は私1人の時が多かったのですが木村と2人の時は、バンド結成については私、バンド名の由来とカーネギーに行ったいきさつは木村、と分担していました。

 「徹子の部屋」「タモリの音楽は世界だ」など全国番組で大スターと共演する機会もありました。思い出深いのは、タモリさんの楽屋での同郷トーク。「この前、タモリさんの実家近くで演奏しました」と言うと、タモリさんのお母さんとお姉さんも来てくれていたと話してくれました。

 周りの方からは「芸能人」という目で見られるようになり、お互いどう振る舞えば良いか分からなかったですね。ひとまず「外でも見られている意識を持たないと」と思い、どんなに近場でも、だらしない格好で出歩かないようになりました。

関連記事

福岡県の天気予報

PR

開催中

2022酒器展

  • 2022年1月12日(水) 〜 2022年1月24日(月)
  • 福岡三越9階岩田屋三越美術画廊

PR