戦後75年の夏が近づいてきた…

 戦後75年の夏が近づいてきた。終戦時、私の父は6歳、母は4歳。戦争の記憶を語れる、ぎりぎりの世代だろう。

 父は旧陸軍造兵廠(しょう)(兵器工場)のあった福岡県小倉市(現北九州市)に住んでいた。ある日、米軍機が低空飛行をするのを目撃し、操縦席の米兵と目が合ったという。「こっちを見て、にやりと笑った顔をはっきりと覚えている」

 母が暮らしていた同県八幡市(同)は1945年8月8日、大規模な空襲に遭った。一家で防空壕(ごう)に逃げて命は助かったが、製鉄所周辺の市街地に無数の焼夷(しょうい)弾が落とされた。「防空壕から出ると一面の焼け野原。自宅は全部焼け、黒焦げになった馬の死骸が転がっていた」

 折に触れて両親の戦争体験を聞いてきたが、まだ知らない話も残っているはずだ。戦後75年を前に、あらためて詳しく聞きたい。今はコロナ禍で県内の実家には行けないが、今夏までには会えればと願っている。 (辻教)

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