拠点は田川変わらず ビートルズになりたくて(13)

西日本新聞 筑豊版

ザ・フライングエレファンツ安部米央が語る「筑豊のビートルズ」

 活動範囲は全国に拡大しましたが、私たちは相変わらず、活動が終われば田川へ戻りそれぞれの本業を続ける日々を送りました。取材ではよく「地元への特別な思いがあるんですね」と言われましたが、そうではありません。

 この頃、私たちは東京に拠点を移すか、このまま地元を軸に活動を続けるのか、悩んでいました。面と向かって話し合ったわけではありませんが、長年の付き合いですから、普段の言動から何を考えているのかは分かりました。

 私は東京へ行くことを前向きに検討していました。カーネギーを成功させ、東芝EMIに移籍もできた。音楽だけに専念し、メジャーになれるチャンスだと思っていました。でも、この頃の私たちは40代そこそこ。音楽活動に専念しても良いと思っていた私でさえ全く不安がないとは言い切れなかったため、最終的に無難な方を選んだわけです。

 「成功したからいいじゃない」と言ってくれる人もいますが、私としては第一線に乗り損ねたなと思います。でも、今ではこの選択をして良かったとも思います。だって、私たちは4人で活動を続けられていますから。東京に行ったら、活動の方向性に違いが生じて解散していたかもしれない。せっかくバンドとしてここまで築き上げたのに、それはもったいないことです。

 私はあくまで、ビートルズみたいにやるのが目標。彼らはコーラスも持ち味のグループですから、一人ではできません。仲間が必要なんです。そして、その仲間が意気投合したときに力が出るんです。2人いると倍じゃない、3倍4倍になります。グループでやるというのは自分の思いだけでは進められず、難しいことも多いですが、だからこそ、どこかで帳尻を合わせながらみんなでやってきました。

 1997年に自主制作で4枚目のアルバム「トゥモロー」を発表した頃から、活動の軸は毎週末の公演になりました。次第に全国からのオファーも落ち着きました。2013年10月、嘉穂劇場で開いた結成40周年記念コンサートなどを経て、現在は九州を中心に月に2、3回演奏する生活を送っています。

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