方言は時代を刻む

 吉田修一さんが西日本新聞に小説「ウォーターゲーム」を連載し始める今から5年ほど前、登場人物の北九州弁をチェックしてほしいという依頼があった。

 産業スパイが題材のこの作品は、吉田さんが「人間を描くスパイ文学というものを書いてみたい」と挑んだ意欲作。九州のダムが決壊する場面から、水資源をめぐる暗闘が展開する。

 長崎市出身の吉田さんは、同じ九州でも人や言葉はさまざまと熟知する。そこで北九州市出身で長年スポーツを担当してきた本紙の諸隈光俊記者に毎回の原稿を入念に見てもらった。

 小説は無事完結し、吉田さんに感謝された。今は幻冬舎の本になっている。

 さて北九州市と言えば、奈良時代の740年にここで起きた「板櫃(いたびつ)川の戦い」は方言が勝敗を左右した。大宰府へ左遷されて不満を募らせた藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)が大軍を率いて反乱し、朝廷の討伐軍と板櫃川を挟んで対峙(たいじ)した時のことである。

 双方の陣には、今の鹿児島に育った隼人(はやと)という部族がいた。隼人は勇猛で知られ、しばしば大和政権に反抗したが、服属後は奈良の都などで官に仕えていた。

 朝廷方の隼人は板櫃川の岸辺で叫んだ。官に歯向かえば罪は妻子や親族に及ぶのだぞという意味だった。他郷の者には分からない。だが対岸の隼人たちには響いた。矢を射るのをやめて川を泳ぎ渡り、朝廷軍に敵の包囲作戦を通報した。

 反乱軍は敗走した。都育ちの藤原広嗣は目を疑ったに違いない。逃亡先の五島列島の値嘉嶋(ちかのしま)で捕まり、処刑された。以上は青木和夫お茶の水女子大名誉教授の本「日本の歴史3奈良の都」(中公文庫)から。

 鹿児島弁はそんな古代の隼人につながる方言だ。先の大戦中は日本が暗号に使った。東京の外務省とベルリンの在ドイツ大使館の間で暗号電文による連絡が滞り、敵の傍受を承知の上で電話を使った時のことだ。

 外務省の電話口には今の日置市出身者が、ドイツ側には姶良市出身者が座って「モ、イッキタツモス」(もうすぐ出発します)などと、これまた鹿児島独特の早口でまくしたてた。

 この通話は、ベルリンに駐在する海軍中将が近く潜水艦に乗って帰国します、という連絡だった。予想通り米軍は通話を録音したが解読は難航を極めた。

 それが鹿児島弁だと分かったのは2カ月後のこと。気付いたのは両親が鹿児島出身の日系青年だった。彼はやむを得ず米国に協力したが、戦後にこれを悔い、短銃で自死した。吉村昭さんが「深海の使者」(文春文庫)に書いている。

 今回は「外出自粛の退屈を紛らわす本を」のお便りに応えて。3冊とも書店にあるか、取り寄せができる。 (特別論説委員・上別府保慶)

関連記事

PR

開催中

2022酒器展

  • 2022年1月12日(水) 〜 2022年1月24日(月)
  • 福岡三越9階岩田屋三越美術画廊

PR