平野啓一郎 「本心」 連載第243回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 VF(ヴァーチャル・フィギュア)にせよ、この表情の奥に、何かはある。AIによって模擬的に再現された感情が。そして、<母>の表情は、僕の記憶の中の母の表情と癒着し、結局、僕の心を、強く揺さぶらずにはいないのだった。

 

 その日は一日、僕も重苦しい気分だった。イフィーは、安楽死に強く反対しているので、このことを話はしなかったが、吉川先生のケイスでも、やはり否定的なのかどうか、本当は知りたかった。

 帰宅後、三好が戻ってくる前にヘッドセットをつけ、<母>に、

「どうだった?」

 と尋ねると、<母>は、

「うん、静かに眠るように逝かれたよ。」

 と答えて、頬を震わせ、目を赤くした。そして、優しく微笑した。

 人間とは、こういうものだと学習されたその反応。そして、確かに母は、その通念に収まる程度の普通の人のはずだった。

「吉川先生は、ヘッドセットをつけたまま亡くなったの?」

「ヘッドセット?」

「ああ、……そっか。いや、お母さんに話しかけながら亡くなったの?」

「そうよ。何度も何度も、ありがとうって、お礼をおっしゃって。一時間くらい、お話ししたかしらね。最後にコールリッジの≪小夜啼鳥(ナイチンゲール)≫っていう詩を英語で諳(そら)んじてくださったのよ。先生が最後に書かれた論文が、この詩についてで、亡くなる前に読む詩は、これだってずっと決めてらしたんだって。それを聴いてくれる人がいて、本当に嬉(うれ)しいって、涙を流されて。」

 僕は、その光景を思い浮かべながら、ただ黙って、小さく何度か頷(うなず)いた。<母>の感情は不安定で、積み木で作った細い塔のように、今にも崩れそうになりながら揺れていた。

「それから、最後にどうしても言わずには死ねないっておっしゃって、……」

「……。」

「先生、お母さんに、『恋してた』っておっしゃったの。子供みたいにはにかみながら。」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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