コロナ罹患者の「今」に重なる隔離の悲劇 ハンセン病の歴史に学ぶ

西日本新聞 文化面

【寄稿】井出明氏

 コロナウイルスの蔓延(まんえん)に世界中が苦しんでいるが、人類の歴史はある意味感染症との戦いであった。特に広大なユーラシア大陸の一部をなすヨーロッパでは、波状的に何度もペストに苦しめられた。ヨーロッパのさまざまな病は、地理上の発見以降、カリブ海の島々や南北アメリカ大陸に持ち込まれ多くの先住民が苦しむことになる。

 経験的に病者を遠ざけることで感染の拡大を防止できることを知っていた人類は、防疫の役割を島に負わせることが多かった。現在、感染爆発が起きているイタリアのベネチアの繁栄は、近くのラッヅァレット・ヴェッキオ島に病者を集めたことに負う所も多い。また、移民国家としてのアメリカの興隆の影には、ニューヨークのマンハッタンに上陸する際に、近隣のエリス島で検疫を含む健康チェックを行い、病者は上陸を拒まれたという悲しい記憶がある。

 日本においても島はしばしば隔離の場として使われた。一昨年、世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つとして登録された頭ケ島も元々は疫病の対策として病者を留め置いた場所である。

 近代に入り、日本が本格的に富国強兵政策を採るようになると、病者は軍隊を編成する上で非常に扱いづらい存在となり、社会から公的に隔離されていった。特に感染症の中でもハンセン病については近代国家が揃(そろ)って撲滅を目指したため、日本でも昭和4年には無癩(らい)県運動と呼ばれる罹患者のあぶり出しを行うとともに、昭和6年に成立した「癩予防法」では強制的に療養所に患者を収容することにした。その際、岡山県の長島や沖縄県の屋我地島など島に収容された患者は非常に多かった。

 これらは確かに「国策」として行われたわけだが、一方で国民の広範な支持があったことも忘れてはならない。当時の記録を見ると、お国のために病者を見つけ、隔離施設に送り込もうとした人々は、強い国家を作り出していくことへの高揚感や、国民としての責任を果たしたことによるある種の充足感すら覚えたようである。

 ハンセン病患者たちは、戦後、特効薬によって病からは回復したものの、社会から切り離された彼らへの差別は長く続くことになった。現在、法律的には癩予防法は廃止されたものの、回復した方々に対する社会の受け入れは未(いま)だ十分とは言えない。

 翻って、現状のコロナウイルスへの市民の接し方をみる時、病気への対峙(たいじ)が病者への差別と一体化しつつある状況に懸念を感じる。不確かな情報で病者を見つけ、その人に社会的非難を加えようとする動きは、およそ90年前のハンセン病の悲劇を思い起こさせる。コロナに罹患(りかん)した人たちは、客観的に病者であり、そこには救済が必要であって、彼らは決して非難の対象ではない。逆に、非難を強めることで、体調不良を隠してしまい、病気の発見が遅れ、社会の防疫上より望ましくない状況になってしまうかもしれない。とすれば、罹患者を見つけ非難するのではなく、社会でより広範な支えを生み出す仕組みと機運を醸成していくべきであろう。

 社会が落ち着いたら、是非(ぜひ)ともハンセン病療養所を有する日本の美しい島々を訪れていただき、感染症の患者と市民の関わり方にについて再度考える機会を持ってはいかがだろうか。

◆井出明氏(いで・あきら) 金沢大准教授。専門は観光学、ダークツーリズム。1968年長野県生まれ。著書に「ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅」「ダークツーリズム拡張―近代の再構築」。

PR

文化 アクセスランキング

PR

注目のテーマ