作品の格調が上がるナレーション 岡村淳氏、久米明さんを偲ぶ

【寄稿】岡村淳氏

 久米仙という泡盛がある。これは沖縄の久米島に由来するが、久米といえば最もポピュラーな仙人、久米の仙人を思い出す。久米さんは仙人のように不老長寿なのだろう、と思い込んでいた。

 アナウンサーの久米宏さんは高校の先輩で、俳優の久米明さんはナレーションの大先輩だ。ブラジルに移住して三十余年、インターネットの時代でも奥地取材で祖国のニュースが途絶えることがあるが、コロナ禍で外出制限令下のサンパウロのわが家で大先輩の方の久米さんの訃報に接した。

 私は日本で大学卒業とともにTVドキュメンタリー制作会社の日本映像記録センターに入社した。新人の私は、久米明さんのナレーションで知られる日本テレビの「すばらしい世界旅行」を担当することになった。世界の少数民族や野生動物を紹介する長寿番組だ。久米さんは20代前半の若造だった私のことも「岡村さん」とさんづけで呼んでくれた。私の処女作はシンガポールで取材した「ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群」と題した番組だ。当時、毒ヘビや人喰いザメといった、いわゆるゲテモノを扱った番組の視聴率が好調だったため、究極のゲテモノのお鉢が新人の私に回ってきたのだ。

 多忙を極めていた久米さんは、録音当日のスタジオでナレーション原稿を真剣にチェックする。「岡村さん、最後のシーンの『ナメクジ』を『いのち』に変えてみるのはどうでしょう?」

 乾燥期にアリの大群の餌食になっていたナメクジが、慈雨の到来でふたたび息吹を取り戻すというラストシーンだ。<雨は、この生きもののいのちをよみがえらせる>。久米さんの声で「いのち」と語ってもらうだけで、作品の格調は数段アップした。

 のちに私は有名無名さまざまな方々にナレーションをお願いしてきた。録音現場に番組のディレクターとプロデューサーがいるとする。直接、ナレーション録りを指揮するのはディレクターだが、全体の力関係はプロデューサーが上である。多くのナレーターは問題が生じたとき、ディレクターそっちのけで、プロデューサーの顔色をうかがうのが常だ。久米さんは違った。ベテランプロデューサー立会いの場でも、学徒出陣のような若造ディレクターを立ててくれた。今でいうブラック業界で暴力と罵声のたえないテレビの世界で、久米さんは日本語も生き方も素敵(すてき)だった。

 「すばらしい世界旅行」シリーズは全編が久米さんのナレーションだが、ディレクターと久米さんが対談するシーンが2カ所ほどあった。そして1984年からは全編、ディレクターと久米さんの対談で進行するスタイルとなった。対談の原稿は事前にディレクターが書いておく。30秒のシーンがあるとすると、ディレクターとしては視聴者の理解のためにこれだけの情報は必要、と考えて書き込んでおく。久米さんはご自身の久米節をたいせつにされて、対談本番で「うーん、なるほど」といった原稿にない言葉をさしはさむ。あわててディレクターは残りの原稿をシーン内で読もうと早口になる。「岡村さんは、早口だからなあ」。録音スタジオでの久米さんのおなじみのセリフだった。

 「すばらしい世界旅行」のアマゾン取材が嵩じて、私はフリーランスとなりブラジルに移住した。今日では自主制作でドキュメンタリーづくりを続けている。ナレーターに支払うギャラもなく、現場を知悉(ちしつ)する自分が語るべきだという思いもあり、ナレーションは私自身が行っている。

 久米さん、早口は克服しました。聴いてもらいたかったです。

◆岡村淳氏(おかむら・じゅん) 記録映像作家、ブラジル・サンパウロ市在住。

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 洋画吹き替えや紀行テレビ番組のナレーションなどで活躍した俳優、久米明さんは4月23日、96歳で死去。

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