古代ローマに学ぶ「非常時」の危機管理 半年限定で「独裁官」

【寄稿】本村凌二氏

 ローマ在住の作家・塩野七生さんは新型コロナの荒波に飲みこまれたイタリアでの近況を語っている(『文藝春秋』5月号)。日本は外出自粛だが、イタリアは外出禁止。どうしても出たい場合、氏名・住所・生年月日などの必要事項を書類に記しておかなければならないらしい。それでも、二週間ぶりに外出したら、無人のローマの街の美しさを満喫したという。そこにはローマ本来の風格が堂々たる姿を現していたのだ。

 西洋古代史研究という仕事柄、私は毎年のようにイタリアを訪れ、ローマにも数日滞在する。その間の一晩、塩野さんと会食して歓談することがある。とりとめもない雑談の合間に、ときには「なぜローマはあれほど強大な世界帝国になったのか」の話題について昨今の時事問題などとからめて意見を交わすことがある。ローマ人の固有名詞などについていちいち説明しないでも済むから、お互い言いたい放題で話ははずむ。

 ところで、なぜ一都市国家にすぎなかったローマが、かくも大いなる国力を発揮することができるのか。それはわれわれ現代人だけではなく古代に生きる人々にとっても問いただしたい問題であった。

 じっさい古代にも、その課題に人生の半分をかけて明らかにしようとした知識人がいた。

 前二世紀のギリシア人の政治家・歴史家ポリュビオス。ローマはハンニバルの率いるカルタゴを撃破して隆盛をきわめていた。そのローマをポリュビオスは目の当たりにする。ローマに抑留されながらも名門のスキピオ家の接待を得ていたので、ローマの国情をつぶさに観察することができた。ポリュビオスはその経験と思索を重ねながら『世界史』を書いたが、そのまなざしの焦点は「ローマの興隆史」にあった。

「ローマの国政は全体としてみれば、貴族政なのか、民主政なのか、あるいは君主政なのか、そこに住む人でさえ誰も確信をもって言うことができなかった。もし執政官(コンスル)の権限に着目すれば、完全に君主政で王政のように見えた。しかし、もし元老院(セナトゥス)の権限に目をやれば、今度は貴族政のように見える。さらに、もし民会(コミティア)の権限に目を向けるなら、明らかに民主政のようだった。これら三つの勢力がそれぞれ形をとってローマの国政に幅をきかせていたのである。」

 ポリュビオスにかぎらずギリシア人にとって、このときローマ国家はまばゆいほど独特なものに映っていた。ギリシアのポリスはどれも、王政から貴族政へ、やがて僭主政を経て民主政へ、それが衆愚政に堕(だ)せば、また独裁者が登場する。いずれかの政治勢力が強大になり、また別の勢力がのさばり、それがくり返されるだけだという。これに比べて、ローマでは君主政、貴族政、民主政の三つの勢力がバランスよく均衡し、内政の争いが少ないだけ、国外に目を向けることができる。そこにローマ国家の強大さの秘密がある。異邦人のポリュビオスはそう語りたかったのだろう。

 ローマ人の国政の実情は本当にそうだったのだろうか。というのも、長い歴史のなかには平時のみならず、有事もあるからだ。非常事態あるいは緊急事態がおこったとき、三つの勢力の均衡だけで乗り切っていけるのだろうか、という疑問がおこる。

 前四世紀初め、イタリア半島に侵入したガリア人はローマ軍を打ちのめし、ローマの都を占拠して略奪した。ローマ人は歴戦の名将カミルスを呼び寄せ、「独裁官」に任命する。離散していたローマ兵が集められ、カミルスの率いるローマ軍はガリア人を蹴散らした。国土はガリア人に踏みにじられていたから、再建するのはとてつもない難行だった。カミルスはその事業をも陣頭指揮をとり、やがて「第二のロムルス(伝説上の王政ローマ建国の初代王)」と讃(たた)えられた。

 平時は君主政・貴族政・民主政のバランスのよい体制が望ましいにしても、戦争や内乱のような有事には強力な指導者が必要になる。それを弁(わきま)えていたローマ人は非常時にそなえて「独裁官」職を設けていた。執政官も元老院も民会も干渉できず絶大な権力をもっていた。しかし、独裁が長期化しないように、「独裁官」は半年内に限られていたし、退任後は在任中の活動が起訴されることもあったという。

 これは危機管理にすぐれたローマ人の知恵であり、ローマが覇権を握った秘訣(ひけつ)の一つであろう。この知恵は現代世界にも大いに示唆するところがあるかもしれない。

 

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