ウイルスとの「見えない戦争」が我々に与えたもの 三崎亜記氏

【寄稿】三崎亜記氏

 戦車も爆弾も、兵士の姿もなく、戦争の気配は全く感じないまま、ただ、町の広報誌に報告される戦死者の数だけが増えてゆく……。私がそんな小説、「となり町戦争」を書いたのは、もう15年も前の話だ。

 あれから世界はよりいっそう複雑化して、人やモノがボーダーレスで行き来するようになった。経済的な側面での関係性の糸がもつれ過ぎて、大規模な戦争は「起こしたくとも起こせない」ような、逆説的な「平和」をすら感じていた。そんな時代に、まさかこんな形で、「見えない戦争」が始まるとは……。新型コロナウイルスという、「見えない敵」との戦いだ。

 ベランダから眺める、穏やかな春の光に照らされる街並みは、平和そのものだ。だが、今この瞬間も、ウイルスとの「戦争」は継続中だ。病院では、医療崩壊を起こさないための瀬戸際の攻防が続いている。そして、我々(われわれ)もまた戦っている。「外出自粛」という、思いもよらぬ形の戦い方で。

 「となり町戦争」で描きたかったのは、「戦争は、日常とかけ離れた場所で起きるのではなく、日常の延長線上にある」ということだった。ウイルスとの「戦争」もまた、どこか自分と離れた場所で起こっている出来事のようだ。自身や身近な人が感染してはじめて、自分が「戦い」の最前線に立たされていることを知って慄然(りつぜん)とするのかもしれない。

 報道で感染死者数の数値が増えて行くのを前にする毎日は、「死の重み」に対する我々の感覚を麻痺(まひ)させてしまう。統計としての「死」の手触りは、どこか現実感がない。奇妙な浮遊感や歪(ひず)みを抱えたまま、閉じこもった毎日が過ぎてゆく。

 誰もが外出を控え、健康に気を遣(つか)う日々を送っていることから、交通事故死者数や、インフルエンザ等の他の感染症での死者数は減っているともいわれる。都市封鎖で新型コロナによる死者数を減らせたとしても、経済がまわらなくては、今度は自殺者が激増するかも知れない。本来等しいはずの「命の重さ」を天秤(てんびん)にかけるようにして、我々はいったい何と戦い、そして何を守ろうとしているのだろうか……。

 静かな、「見えない戦争」。逃れられない戦いではあるが、望みもある。家に入る時には靴を脱ぎ、ハグや握手ではなくお辞儀で挨拶(あいさつ)する文化。インフルエンザや花粉症で、マスクをつけることが日常的な社会。毎日お風呂に入り、ウォシュレットでお尻まで洗う潔癖性……。ガラパゴス的な文化として、時に海外からは冷笑や揶揄(やゆ)の対象となってきた日本人の「習性」が、我々を「守る」かもしれない。見えない戦争に、劇的な「勝利」は存在しない。ウイルスが常に隣にあることを意識しながら、これから長い時間をかけて、「共存」の道筋を探らなければならないのだろう。

 「見えない戦争」が我々に与えたものは、現実的な感染・死者数や、経済的影響の「被害」だけではない。格差の問題や老人・医療福祉への考え方、非常時の国家のあり様などなど、今まで「見えなかった」ものや「見逃していたこと」、「見ないようにしていたこと」を浮き彫りにした。「見えない戦争」を無意味な消耗戦にせず、「コロナ後」に「見える成果」を残せるように、コロナ禍の陰で「見えない」ことから目をそらさずにいたい。

 外に出る時は常にマスク装着だし、ニュースを見ても気が滅入(めい)る話題ばかりで、身体も心も「酸素不足」だ。一日の終わりに、しっかりと手を洗ってマスクを外したら、まずは大きく深呼吸をしよう。そして、窓の外の、人々の営みが続く家々を見渡そう。一つ一つの光の下で、誰もがそれぞれの「戦い」を続けている。ウイルスは見えない。だが、人との距離は「見える」。身体は離れても、心はつながっていよう。「離れている」ことこそが、今はみんなの連帯の証なのだから。

◆三崎亜記氏(みさき・あき) 1970年、福岡県久留米市生まれ。2005年、小説すばる新人賞受賞作「となり町戦争」でデビュー。同作のほか、「失われた町」「鼓笛隊の襲来」で直木賞候補。福岡市在住。

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