中野正剛と菊竹六皷 水江浩文

西日本新聞 オピニオン面 水江 浩文

 1932年5月15日、福岡市の大濠公園で九州日報の新社屋落成を記念する祝賀会が開かれた。ライバル紙だった福岡日日新聞(福日)を代表して祝辞を読んだのが編集局長の菊竹六皷(ろっこ)(1880~1937)である。九州日報前社長の中野正剛(1886~1943)も列席していた。両社は10年後に戦時下の新聞統合で西日本新聞となる。

    ◇   ◇     2人には共通点が多い。六皷が6歳年長だが、ほぼ同時代を駆け抜けた。同じ福岡県人で早稲田大卒。地方紙と中央紙の違いはあるが、新聞記者を志して六皷は福日、中野は東京朝日新聞に入社した。

 国家権力に立ち向かう反骨の精神こそ両者に相通じる真骨頂だろう。衆院議員に転じた中野は数々の政治遍歴を経て有名な「戦時宰相論」で東条英機首相を批判。倒閣を画策したとして逮捕された。

 六皷は五・一五事件を巡る一連の論説で軍部の暴走を痛烈に批判し、憲政と議会を守れ-と孤高の論陣を張った。

 接点や交流があっても不思議ではないのに、両者は反目し合う。木村栄文編著「六皷菊竹淳」によれば、「犬猿の仲」だった。例えば「支那とファッショ」という論説で六皷はこう嘆いた。「ファッショ大流行の今日である。日本にもムッソリーニ気どりの政治家が変な恰好(かっこう)をして、変なことを口走りつつある(後略)」。この政治家が中野を指すことは言うまでもない。

 中野も負けていない。福岡に帰省した中野の歓迎会で六皷の人物評が話題になった時、中野は「あれがまあ地方新聞記者の限界だろう」と冷たく突き放したという。

 冒頭に紹介した九州日報の祝賀会はそんな中野と六皷が交差した一瞬だった。

 RKB毎日放送(福岡市)の名物ディレクターだった栄文さんは六皷の「簡潔な、しかも心の籠(こも)った」祝辞が中野の心を動かし「一度菊竹さんとゆっくり胸臆(きょうおく)を話し交えたい」と語っていた-という貴重な逸話を書き残している。

 交わりそうで交わらない。そんな両者の機微を見事に掘り起こした栄文さんの丹念な取材に改めて感服する。

    ◇   ◇ 

 新緑の大濠公園で祝賀会があった日の夕方、首相官邸が襲撃され、犬養毅首相が殺害された。五・一五事件だ。

 私には今、あの世で再会した2人が和やかに歓談する光景が目に浮かぶ。ただし、そこは言論人として鳴らしたご両人である。昨今の新聞記者や政治家をやり玉に挙げ「つまらんばい」と憤慨しているのではないか、とも想像してしまう。 (論説副委員長)

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