「打撃は平等でない」困窮者支援を続ける牧師 コロナ禍で感じること

西日本新聞 文化面 小川 祥平

コロナ禍を生きる

 大型連休前の週末の夜、例年なら酔客であふれる小倉の街は静かだった。この地で困窮者支援活動を続ける牧師、奥田知志(おくだともし)さん(56)は普段通りに繁華街にいた。公園での炊き出しの後、ホームレスの見守りパトロール。「30年以上やってきたけど、こんな夜は初めて」。一変した街の空気を察知してか、ネズミの大群が目の前を横切っていく。

 「今は医療崩壊、感染を防ぐのが第一。ただ、私としてはコロナ関連死を危惧(きぐ)しています」

 経験に裏打ちされた言葉は重い。銀行や証券会社の経営破綻が相次いだ二十数年前の金融危機では自殺者数、ホームレスが急増した。2008年のリーマン・ショック後もひどかった。失業者が「年越し派遣村」に押し寄せた。今回はそれ以上とみる。

 「災害や危機による打撃は平等ではない。もともと社会が持っていた格差、脆弱性が拡大して露呈するんです」

 政府が呼びかけた「ステイホーム」一つとっても、在宅勤務を選択できず、働かざるを得ない人がいる。ネットカフェが夜の営業をやめ、家のない人々はセーフティネットを失った。

 奥田さんは「ステイホーム」に加え「フロムホーム」を提唱する。家の中からでも支援はできる。理事長を務めるNPO法人「抱樸(ほうぼく)」では、緊急電話相談を実施。市内にワンルーム25室を借り受け、改修を始めた。1億円に設定したクラウドファンディング(CF)も始め、現在1700万円超の支援金が集まっている。

 ゴーストタウンと化した街で「さみしさ」も感じた。人と会わなくなり、飲みにも行かない。そんな状況にだれもが「あの日に帰りたい」のかもしれない。

 「でも戻れないし、もっと言えば戻ってはいけない。『戻りたい社会だったのか』と問うべきだ」

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 奥田さんが社会への違和を感じたのは関西学院大の学生だった頃。日雇い労働者が集まる釜ケ崎でボランティアをし、豊かだと思い込んでいた日本の別の側面を知った。大阪万博(1970年)で労働力の供給源として栄えた釜ケ崎は、奥田さんと無縁ではない。父が万博工事の多くを担った大手電気設備会社の社員で労働者を雇う側。不自由なく育った息子は、行き場を失った労働者であふれ、死にゆくホームレスもいる街から「自分は何者か」という問いを突きつけられた。

 「ひどい世の中で神様までいなくなっては困る」。牧師の道を選び、88年からホームレス支援を続ける。 その活動は自己犠牲、利他の精神という言葉で語られがちだが、否定する。

 「人間が出会いの中で立ち上がっていく。それは社会にとっても大事だし、僕の幸せにもつながる。自己と他者は分離できません」

 世の中は他者性を失いつつある。「自国ファースト」を標榜(ひょうぼう)する国。それに乗っかる市民の態度。トイレットペーパーの買い占めも「私たちの中から他者がいなくなったから起きた」。

 現代人はなぜ他者との関わりを避けるのか? 奥田さんに問うと「大変だから」と返ってきた。

 「でも」と続ける。「大変さは不幸ではない。人と出会って苦労するのは大変だけど面白い。そこにみんな気付いてほしい」

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 心を寄り添わせ、一緒に泣き、笑う。奥田さんがやってきた「伴走型支援」は、感染拡大防止の「3密」と相いれない。炊き出しを中止する支援団体もある中、奥田さんは続けた。弁当に並ぶ列を増やすなど密集を避けた。会話しながら一緒に食べる「抱樸流の炊き出し」はできないが、代わりに弁当一つ一つに手書きメッセージを添えた。

 特別定額給付金の概要が発表された直後、初老の男性が教会を訪れた。10万円入りの封筒を手に「必要な人のために」。ほかにも「国が配る布マスクを託したい」との声も届いた。「社会は捨てたものじゃない」

 作家、五木寛之さんは「朝顔は闇の底に咲く」というエッセーで、朝顔は闇がなければ花を咲かせないと書いた。奥田さんはその文章が好きだ。

 「見える距離は遠くても、心の距離を近く。コロナのせいにするのではなく、夜明けに向けて備えることをしなければいけません」

 緊急事態宣言が解除されても、しばらくは「フロムホーム」の支援を余儀なくされる。ただ、コロナ後に訪れる新しい社会の萌芽(ほうが)も確かに感じている。

 (小川祥平)

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 北九州市のNPO法人「抱樸」の新型コロナウイルス感染拡大の影響で支援が必要になる人たちのためのCFは7月27日まで。サイト「READYFOR」で「抱樸 コロナ緊急」と検索する。

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