平野啓一郎 「本心」 連載第246回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 イフィーは、「ええ。」と頷(うなず)いたが、それでいいのかどうかを、自分から言いはしたものの、まだ考えている様子だった。

 

 イフィーに自分の考えを伝えた翌日、僕は、あのメロンの一件のコンビニ店員と、初めてメールでやりとりした。

 あの店員の女性が、僕と連絡を取りたがっていることは知っていたが、彼女が伝えようとしている感謝の言葉を考えると、どうしても気が進まなかった。僕の行動は、それに値するものではなかったし、あの時、自分の中にあった破滅的な衝動と向き合うことに、今では臆病になっていた。

 一頃、僕に思いがけない収入を齎(もたら)してくれたあの動画も、流石(さすが)に落ち着いていて、偽善的だとか、やらせだとか、なぜ、ただ黙って立っているだけなのかといった非難のコメントも目立つようになっていた。数だけ取ってみれば、それらは、賞賛(しょうさん)の声よりも遙(はる)かに少なかったが、僕の心の中にいつまでも留(とど)まって、賞賛の声を凌駕(りょうが)する数になるまで、執拗(しつよう)に繰り返された。

 ところが、僕は投げ銭の確認をした際に、その送り主の中に、彼女が含まれていたことにようやく気づいたのだった。しかも彼女は、僕に対する中傷に対して、当事者として反論し――その言葉は、いかにも頼りなかった――、そのために、今では彼女自身が攻撃されていた。その陰湿な罵声の数々は、外国人差別から女性差別、容姿差別に貧困差別と、ありとあらゆる醜怪(しゅうかい)なものが、破れたゴミ袋から溢(あふ)れ出し、道端に散乱しているかのような有様(ありさま)だった。

 僕は、自分に向けられたならば、到底耐えられないであろうそれらの言葉に、傷つくのではなく、憤りを感じた。それは、当たり前のことなのかもしれないが、僕は、どうして当事者ではない人間が、他人のために声を上げるべきなのか、初めて自分で納得できた気がした。そして、高校時代に“英雄的な少年”に導かれて、職員室前で座り込みをしていた自分は、あの少女への愛の故に、やはり怒りの感情を抱いていたのだろうかと振り返った。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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