平野啓一郎 「本心」 連載第247回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 今度こそ僕は、本心からの善意によって、彼女に味方することが出来るかもしれないと思った。彼女が苦境を脱する手伝いをしたかった。それが、僕自身にとって、あの出来事を克服するための恐らくは唯一の方法だった。イフィーの思い込みに沿って、僕は、あの動画に表れたままの人間として生きたいと願っていたが、そのための努力をせずにいることは、大きな苦しみだった。

 僕は、彼女を庇(かば)うために、自ら名乗り出て事態の収拾を図ることをまず考えた。しかし、逆効果となる気もして、少なくとも事前に彼女に相談すべきだと考えた。彼女のアカウントを辿(たど)ると、動画が公開された直後に、僕に一万円の投げ銭がなされていた。それは、彼女の収入からして、決して少なくない額のはずだった。金額としては、凡(およ)そ懸け離れてはいたが、彼女も結局のところ、イフィーと同様に、僕に対する感謝の思いは、お金で表現するしかなかったのだった。

 僕は自己紹介と、投げ銭への礼、そして、これまで件(くだん)の動画とは距離を置いてきたが、彼女が巻き込まれている状況に胸を痛めているので、コメントしたい旨を書き送った。

 返事はすぐに来た。

「はじめまして、石川朔也(さくや)さん。わたしの名前は、ティリ・シン・タンと言います。

 連絡をもらえて、とてもうれしいです。あなたにいつも、お礼を言いたいと思ってました。

 あの時は、助けてくれて、本当にありがとうございました。

 わたしはミャンマー人の二世です。日本で生まれ育ったので、ミャンマー語は少ししか話せません。お母さんとお父さんは、日本語がうまくないので、ミャンマー語で話しますけど、翻訳機がないと、複雑なことは話せません。わたしの日本語も完璧じゃないので、難しい仕事は無理です。でも、ミャンマーに帰っても働くことはできません。

 わたしは、日本に住み続けたいですが、生活は苦しいです。

 石川さんが、インターネットで書いてくれたら、うれしいです。でも、石川さんが攻撃されることも心配です。

 石川さんは、今も、リアル・アバターの仕事をしていますか? がんばってください。」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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