アイドル編<463>タイムスリップ

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 新型コロナウイルス禍の自粛生活の中、ミュージシャンたちが会員制交流サイト(SNS)を使って「ステイ・ホーム」などさまざまなメッセージを発信した。1980年代アイドルによるリレー歌謡も登場するなどあらためて音楽の存在感をみせつけている。 

 この欄では福岡など地元に関連した70、80年代の女性アイドルを軸に紹介してきた。その20年は日本の高度経済成長を背景に、テレビ文化やレコード産業などのメディアも密接にリンクしながらアイドル歌謡の全盛時代を生み出した。現在もAKB48などにその流れは通じているものの、限定的に見ればアイドル歌謡という言葉は70、80年代の呼称とも言える。 

 「アイドルの条件は若さと可愛(かわい)さ」。ファンを代表する声の一つだ。それは否定できない最大公約数といえる。ただ、それだけではないことは言うまでもない。 

  ×    × 

 アイドル歌謡の魅力の一つはやはり、その楽曲である。現在はシンガー・ソングライターが潮流だが、当時は作詞、作曲、歌手の分業、三位一体で構築されていた。シングルレコード(EP)に収まる3分弱の定型に作詞、作曲者は全力を注ぎ、競い合った。たとえば、中森明菜を世に送り出した作詞家の売野雅勇が「ヒットの要件は書き出しの2行、サビの1行、タイトルの三つです」と語るように、起承転結が凝縮された世界でもあった。短さゆえに字余りの少ない歌詞は口ずさみやすいところもあった。作曲、編曲者の中で松田聖子などに提供した福岡市出身の大村雅朗の功績も大きく、地元でももっと評価されていい存在だ。 

 当時の多くの曲を聴き直して思うことはすべての歌手ではないが、その歌唱力の高さだ。アイドル歌謡を押し上げた手柄は作詞家、作曲家だけに帰するものではなく、同等に、それ以上に歌い手の力によるものでもある。つまり、三者のどれが欠けても成立しなかった。 

 80年アイドルのファンは現在、50歳前後になる。その一人は、アイドルとは「一瞬にして青春にタイムスリップさせる特別な存在」と言った。 

 そのアイドルたちは「敗れざる者たち」としてヒット後、アイドル後の人生と必死に向き合っている。三木聖子をはじめこの欄で紹介した歌手は一様に「アイドル時代の経験が生きている」と語った。 

 時代を共有したアイドルとそのファン。それぞれが歌を支えの一つにして現在を生きている。 

  =敬称略

  (田代俊一郎)

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