平野啓一郎 「本心」 連載第248回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 動画を巡る書き込みでも感じたが、日本で生まれ育ったという割には、やや辿々(たどたど)しい日本語だった。僕の通っていた小学校や中学校にも、外国人やその二世はいたが、彼らとの会話は、日本人と特に変わりはなかった。学校には、通わなかったのだろうか?

 僕は、自分の親と、直接、込み入った話が出来ないというのは、どんな感じなのだろうかと想像した。ミャンマー語だけでなく、日本語も不得手だとすると、彼女は、この世界の誰とも、本心でやりとりすることが出来ないのではあるまいか。

 それは、どんなに孤独だろうか。こんな風に、独りで考えようとした時に、言葉が手許(てもと)にないということは? 僕が学校で習った程度の英語で、自分の気持ちを説明しようとするようなもどかしさだろうか? それにしても、僕は日本語で自分の言いたいことは理解できているのだけれど。……

 僕は、今、彼女が巻き込まれている喧噪(けんそう)のただ中に、僕が介入するのは、あまり良い方法ではないのかもしれないと考えた。攻撃してくる人たちのことが、急にどうでもよくなって、彼女とこそ、話をすべきであるように感じた。

 訊(き)いてみたいことがたくさんあった。僕はまた、日を置かずにメールを書くことにした。

 

 イフィーは、僕の申し出以降、僕との関係、そして、三好との関係を改めて考えるようになったらしかった。

 その日は、日差しの穏やかな薄曇りの日で、外は寒かったが、僕はイフィーの家のリヴィングで、窓辺に座って、ずっとこの文章を書いていた。

 丁度(ちょうど)、「ルームメイト」の一件の辺りで、僕は、力士のように筋肉が隆起したあのアバターの尻を思い出しながら、僕から遠ざかっていくその後ろ姿を、ぼんやりと、休憩で降りてきて、キッチンの冷蔵庫へと向かうイフィーの背中に重ねた。

「ケーキ、出しましょうか?」

「あ、いや、今は大丈夫です。」

 イフィーは、冷蔵庫を開けて中を覗(のぞ)いたが、何も取らずに戻ってきた。心なしか、憔悴(しょうすい)した面持ちだった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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