2300人の名前びっしり…戦争推進の組織に動員された女性たち

西日本新聞 筑豊版

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(6)

 日章旗と旭日旗の下、「祝凱旋(がいせん)」と大書された紙面に2300人を超す女性の名前がびっしりと並ぶ。「福岡奉公婦人会」設立の趣意と会員名が記された文書は、文面と枠外の「凱旋期急迫のため遽(にわか)に印刷に付したから会員名簿回送遅延の分は残念ながら省略することにした」との記述から、日露戦争終結直後の1905(明治38)年10月ごろに印刷されたと推測される。

 日露戦争では、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に海軍が大勝した後、両国とも国内事情により戦争継続が困難になっていたことから講和条約が締結された。しかし国民には勝利のみが大きく伝えられていたため、賠償金の得られない条約の内容は期待を裏切るもので、不満は一気に日比谷焼き打ち事件などの暴動にまで発展した。

 出征軍人の慰問や軍人家族の支援を行っていた団体の活動も熱が冷めたようになったため、福岡第24連隊と関係軍人の凱旋歓迎事業を行いたいと福岡奉公婦人会は参加を募っている。歓迎事業の後は帝国海事協会婦人部と共に義勇艦隊建設事業に尽力することも目的に掲げている。

 明治維新以降、生活改良などを唱えて女性への啓蒙(けいもう)活動が現れ始めるが、一方で国の軍事力が強化される中、戦争を後方から支えるための婦人会が組織されるようになる。日清戦争(1894~95年)後の1901年には上流社会を中心に愛国婦人会が発足し、出征軍人やその遺家族の支援を始めた。満州事変後の32(昭和7)年には国防婦人会が組織され一般主婦にも広がった。戦局の拡大に伴い全ての婦人会は国家により戦争推進の銃後組織として束ねられ、42年に大日本婦人会として大政翼賛会の傘下に置かれた。

 福岡奉公婦人会の事務所は博多に置かれ、会費は、通常会員5銭、賛助会員10銭、特別会員20銭以上で毎月1回徴収し銀行に預け入れるとなっている。設立時の人数で計算すると毎月約250円の会費収入を得ることになる。当時の標準の米価は約14円(1升当たり約14銭)であった。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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