遺跡の在るべき姿とは 相反する「地域振興」と「学術研究」

西日本新聞 社会面 古賀 英毅

吉野ケ里インパクト ~史跡指定30年(3)

 現在も年間70万人が訪れる吉野ケ里遺跡は、埋蔵文化財行政の在り方にも影響を与えた。

 「(時代が異なる)7世紀の寺院跡ですら、吉野ケ里と比べてどれほどの価値があるのか、という質問を議員や報道関係者から受けた」と福岡県小郡市の埋蔵文化財調査センター所長、片岡宏二(63)は振り返る。吉野ケ里の盛況を見て、遺跡の価値を「学術研究」より「地域振興」で計る、という流れが生まれた。

 福岡県文化財保護課長などを務めた赤司善彦(63)はブーム当時、県内の首長から「(福岡でも)“吉野ケ里”を出してください」とよく言われた。「じゃあ人を雇って」と応じたと笑う。

 実際、この時期に県内の多くの市町村で専門教育を受けた文化財職員が採用されたという。バブル経済の時期とも一時重なり「地域振興」の視点が、調査態勢の拡充につながったのは確かだ。

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 だが、いくら考古学的価値が高くても、「三内丸山」(青森市)のような遺跡は例外で、ほとんどの遺跡では吉野ケ里流の保存・整備は難しいのが現実だ。

 「大規模集落を一気にめくる調査は難しい」というのは、吉野ケ里遺跡と同時代の遺跡「唐古・鍵」(奈良県)に長年かかわっている同県田原本町埋蔵文化財センター長の藤田三郎(63)。同規模の遺跡は各地にあるが、ほとんどが私有地で発掘作業は少しずつしか進まない。唐古・鍵遺跡は公園こそ2018年に整備されたが、調査は1936年から断続的に128次にもわたる。

 邪馬台国を語る時、吉野ケ里と「対」となって扱われることが多い「纒向(まきむく)」(同)も同じで、遺構は町中にあり目立たない。纒向学研究センター所長、寺沢薫(69)は「すごい遺跡と聞いたが、吉野ケ里と比べたらこんなものか」と言われ、「口惜しい思いをした」と漏らす。

 「卑弥呼の宮殿か」と話題になった大型建物跡は、他の建物に囲まれて容易に再現できず、「見せる」点では吉野ケ里に遠く及ばない。

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 再現が必ずしも人を呼ぶとも限らない。

 吉野ケ里ブームの中で発掘された平塚川添遺跡(福岡県朝倉市)。元佐賀県文化財課長の高島忠平(80)が吉野ケ里以上の規模と評価する「小田・平塚遺跡群」の代表的遺跡で、面積約12ヘクタールに、再現された建物は12棟。だが、整備された公園の年間入場者は2万人程度にとどまる。赤司は「テーマパークのような吉野ケ里に右へ倣えすることは無理だ」と語る。

 そもそも地域振興と学術研究は相反する場合がある。片岡によると、十分な議論も重ねず建物を再現した遺跡も多いという。その姿が「独り歩き」する傾向があるとも。

 「学術的疑問が完全には解決しない上で再現されたものは一つの仮説、ということが、どこまで市民に伝わるだろうか」。片岡の指摘は遺跡の在るべき姿を問い掛ける。(敬称略) 

(古賀英毅)

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