熱線で焼け、辺りはがれき…被爆した浦上の街

西日本新聞 長崎・佐世保版 西田 昌矢 坪井 映里香

祈りの油彩 未体験画家が描く戦争(2)

 連載「祈りの油彩」2回目からは、私、ウエダ清人(せいじん)が32年間の中学美術教諭時代を振り返りながら、長崎原爆の話を聞いたり、戦争に関する場所を訪れたりして、感じたことを表現した作品を紹介します。

   ◇    ◇

 長い教員生活では県内各地を転々としました。その中で偶然ですが、1980年代に長崎市の山里中、90年代は淵中、2009、10年は西浦上中と、爆心地・浦上地区周辺の学校での勤務が続きました。地域には家族や親戚を亡くした人が多く、子どもたちとの間でも「うちのおばあちゃんも被爆した」などという会話が、当たり前のように聞かれました。

 これらの学校では平和学習が盛んです。爆心地から1・2キロの淵中では毎月、9日前後に平和集会が開かれています。私たちの時は被爆した語り部や先輩教員が自らの体験を語り、生徒は平和に向けた調べ物を発表し、あらためて戦争のない世を誓っていました。

 私は子どもたちを連れてよく校外で絵を描きました。再建された浦上天主堂にも行きました。敷地内には破壊された当時の教会の一部が置かれ、被害の大きさがうかがえます。犠牲者を思い手を合わせました。

 被爆の痕跡は教会だけではありません。爆心地の地表温度は3千~4千度に達したとも言われ、近くの川岸では壊れた家の瓦やレンガ、熱によって焼けた土、溶けた茶わん、ガラスなどが地層の中に重なったまま。被爆遺構としてガラス越しに見学できます。

 周辺では、川まで水を求めてさまよい、息絶えた人もいるでしょう。数多くの遺体が川を覆ったという話も伝え聞きます。

 今回の作品は、被爆してしばらくたった浦上の街を思い浮かべました。私の戦争に関する作品の多くは特に画題はありませんが、熱線で焼けた街は黒ずみ、絵の左側にかろうじて立つのは破壊された旧浦上天主堂です。辺りはがれきで、絵に散らばるオレンジ色は街を焼く炎を表しています。

 全体を引いた視点でとらえ、絵の中に人々の姿は見えないですが、語り部たちは何もなくなった街で母や兄弟を探したそうです。つらかったでしょう。戦争を体験していない私は想像することしかできません。

 絵の中心で空に昇っているような柱は、そんな中にあっても生きる人たちの希望を表現したものです。

 以前、爆心地近くの地中から、遺骨も見つかったこともあります。かつて大勢の人が犠牲になった事実を忘れてはなりません。

※記事・写真は2020年01月04日時点のものです

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