戦闘や自決…地上戦がもたらす残酷さ

西日本新聞 長崎・佐世保版 西田 昌矢 坪井 映里香

祈りの油彩 未体験画家が描く戦争(5)

 私が50代のころに校長を務めた壱岐市の中学校では2年の生徒たちと、国内で最大の地上戦があった沖縄にも行きました。

 きっかけは、生徒たちが授業の中で学んだ戦時中の沖縄の学童疎開船「対馬丸」の悲劇です。戦火を逃れるために大勢の子どもを乗せた対馬丸は沖縄から長崎に向かう途中、米潜水艦に撃沈されました。

 生徒自ら関心を持った戦争の悲惨さについて、現地を訪ねればもっと深く心に刻んでもらえると思い、当時は異例ですが、沖縄に2泊3日の平和学習を計画しました。生徒たちとともに対馬丸事件を語り継ぐ施設やひめゆりの塔を訪れ、語り部の話を聞きました。

 終戦前に米軍が上陸し、3カ月間の地上戦があった沖縄は、長崎の原爆とは異なる悲惨さがあります。亡くなったのは兵士だけでなく、洞窟で集団自決に追い込まれた住民もいます。語り部の話は重く、生々しいです。聞き終えた生徒たちはぐったり黙り込んでいました。

 私が印象に残ったのは、沖縄本島南部にある豊見城市の旧海軍司令部壕(ごう)です。日本海軍が本土や首里城下の旧陸軍司令部に情報を送る拠点で、地下を数百メートル掘り抜いたものです。持久戦に備え、約4千人もの日本兵が狭い壕の中で暮らしたそうです。

 薄暗い中で歩を進めると、周囲の壁にはしみやカビのような跡が複数残っていました。破片の痕跡もたくさんあります。ガイドの話では地上戦が終わる間際には、海軍の幕僚たちがピストルや手りゅう弾を使って自決したそうです。

 今回の作品は、学習を終えて壱岐に帰ってすぐ描いたものです。縦に伸びる黒い影は、戦況が悪化して壕の中で孤立を深める軍幹部や島内で追い込まれた沖縄の住民たちを表現しました。赤い色は戦闘や自決など地上戦がもたらす残酷さを憂えて付けました。

 壕内の司令官が、日本本土の海軍に送った電文「沖縄県民かく戦えり」では、草木が焼け、食べ物もない窮状の中でも懸命に軍に協力し、報われなかった沖縄の人たちの姿が報告されています。住民を含め約20万人が犠牲になった沖縄の惨禍にも、私たちは向き合い続けなければなりません。

※記事・写真は2020年01月07日時点のものです

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