核兵器使用の惨劇を生み出した場所…現地で感じたこと

西日本新聞 長崎・佐世保版 西田 昌矢 坪井 映里香

祈りの油彩 未体験画家が描く戦争(7)

 私は中学校で美術を教える傍ら、毎年、長崎原爆の日の前後に、地元の美術仲間たちと一緒に「ながさき8・9平和展」の開催にも携わってきました。一般から寄せられた美術作品を展示して戦争や平和への思いを表現するものです。

 その企画委員だった縁で1990年代後半、長崎や同じ被爆地・広島の美術仲間と一緒に、米ニューメキシコ州の画家から美術交流展を開こうと誘われ、現地に足を運びました。

 くしくもニューメキシコ州は、米国が大戦中、核兵器を研究し、終戦間際には砂漠地帯で核実験もありました。広島、長崎で人類史上初めて核兵器が使用される惨劇を生み出した場所です。砂漠を移動するバスの車内で現地の人から「このずっと向こうで核実験があった」とも聞きました。

 滞在中には核関連の展示施設も見学しました。長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の模型や、投下後にがれきになった広島や長崎の写真があったのは覚えていますが、長崎原爆資料館に展示されているような、熱線で焼け焦げた子どもやケロイドの痕が残った被爆者の写真などはなかったように思います。

 米国内では、原爆のおかげで戦争が終わった、というのが一般的な見方だと言われています。その施設を訪れた時もなんとなくそんな雰囲気を感じました。

 最後に紹介するこの絵は、バスの車窓から見た砂漠です。赤茶色の大きな岩、か細い木が点在しています。人工物はなく、広がり続ける自然の美しさを率直に描きました。

 同時に、この自然のどこかで、秘密裏に核開発が進められ、実験まで行ったのかという寒々しさや空虚さを表現したつもりです。誰もが長崎、広島とは無関係ではなく、戦争や被爆の重大さから目を背けないでほしいとの願いがあります。

 昨年、米国に留学していた福岡の女子高生が、留学先の高校が原爆のきのこ雲を学校のロゴマークにしていることに異を唱える動画を発信し、話題になりました。「雲の下にいたのは兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに思うべきでしょうか」と訴えたそうです。

 私は被爆者ではありません。しかし長崎で長年暮らし、被爆した人や戦争経験者の話を見聞きしてきました。雲の下で起きた出来事、戦争がもたらしたものをこれからも考え、できる限り作品として後世に継げれば、と思います。

 =おわり

 (西田昌矢、坪井映里香が担当しました)

※記事・写真は2020年01月09日時点のものです

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