跡形なくなった寺院…大切な本尊も運び出せず 被爆後の光景

西日本新聞 長崎・佐世保版 野村 大輔

写真は語る 12枚に込められた思い(4)

 わずかに常夜灯を残し、広大な伽藍(がらん)を誇った唐寺は跡形がなくなった。JR長崎駅近くに位置し、霊亀の上に立つ巨大な観音像で知られる福済寺(長崎市筑後町)の被爆後の光景だ。

 江戸時代の1628年創建。同じく中国とゆかりのある興福寺、崇福寺とともに「三福寺」と呼ばれた。中でも最大の寺院として名をはせたが、原爆によって焼失した。絵はがきにある写真左上の説明文には「紅蓮(ぐれん)の焔(ほのお)に呑(の)まれた福済寺」と表現されている。

 長崎原爆では、爆心地近くの浦上地区に数多く住んでいたカトリック信者の被害がよく後世に語り継がれる。その陰に隠れがちだが、長崎には仏教の寺院が数多くあり、寺ごとにその被害が今も伝えられる。

 福済寺の三浦秀元(しゅうげん)住職(70)によると、被爆当時の住職だった祖父の実道(じつどう)さん(故人)は、原爆で駅近くまで街が燃え広がったため、長年信徒たちの信仰を集め、寺で最も大切な本尊を外に運び出そうとした。いよいよ火の手が寺に迫る中、せめて首だけでも―。

 「のこぎりを入れようとしたが、切れんかった」。生前、実道さんは当時を思い出しこう語った。いま寺にある本尊は、京都・宇治にある本山の萬福寺から譲り受けたものだ。

 写真は、原爆がカトリック信者だけでなく、仏教徒の惨禍を伝える意図があったのかもしれない。

※記事・写真は2020年02月04日時点のものです

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