原爆で一変…無残な姿になった文化の象徴

写真は語る 12枚に込められた思い(5)

 絵はがきに写るのは長崎市公会堂。袋町(現在の栄町付近)に立ち、被爆前は市の公式行事や、市民による演劇、音楽会も数々開かれた。戦前の姿を知る郷土史家越中哲也さん(98)は「長崎の文化の中心地。ハイカラで若者の憧れの場所」と振り返る。

 それが原爆の投下で一変し、火災で屋根は焼け落ちた。外壁は残ったが文化の象徴は無残な姿に。同じ写真の後方約300メートル付近には、焼失した江戸町の県庁舎も見える。一帯は焼け野原だ。長崎平和推進協会の写真資料調査部会によると、この位置からの写真が残るのは珍しいという。

 戦後、市民からはなじみ深い公会堂の復活を願う声が上がった。被爆から10年後の1955年に長崎の都市の復興を目的に文化施設を建設する「長崎国際文化センター計画」が始動。その一つとして62年、魚の町に公会堂が再建された。

 戦前の公会堂は、もともと篤志家の寄付を基にスタートしたものだ。再建された公会堂が50年以上経過し、3年前に老朽化で取り壊されても、再び新たな文化の拠点を求める声は市民の一部には根強い。

 撮影した市職員らが、公会堂を被写体に選んだ思いとは―。同調査部会の松田斉(せい)部会長(64)は「中心部にあり、市民に親しまれた場所が焼けたことを端的に表した一枚と言える」。県都の被害を伝えたい一心だったかもしれない。

 =おわり

 (この連載は野村大輔が担当しました)

※記事・写真は2020年02月05日時点のものです

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