研究に大きな伸びしろ 「弥生」の解明探る吉野ケ里

西日本新聞 社会面 古賀 英毅

吉野ケ里インパクト ~史跡指定30年(5)

 今年2月、佐賀市内であったシンポジウムで吉野ケ里遺跡の課題を尋ねられた元佐賀県文化財課長の高島忠平(80)は即答した。

 「常設の博物館」

 現在もプレハブの展示館はある。だが、空調などが文化庁の基準を満たしておらず遺跡のシンボル「有柄銅剣」(国指定重要文化財)を展示できない。

 吉野ケ里歴史公園を整備した国土交通省には基本的に博物館のノウハウはない。佐賀県は、現地に独自の博物館を造ることを検討していた。しかし、吉野ケ里ブームの以前から歴史資料館建設の構想があった。予算の限界もあり、文化財行政の責任者だった高島は歴史資料館(現佐賀城本丸歴史館)を優先した。「難しい選択だったが、長い経緯があったので」

 博物館で展示と同時に重視されるのが研究だ。佐賀県で吉野ケ里を担当する研究職員は4人。一方、三内丸山遺跡(青森市)は9人。単純比較はできないが、「最低でも6、7人は欲しい」と高島は嘆く。

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 博物館整備について、吉野ケ里を反面教師としたのが三内丸山だ。

 青森県世界文化遺産登録推進室長の岡田康博(62)は、高島らと話して問題点を把握し、財政状況から浮上した「国営」論を退けた。「国営になると地元の意見が通りにくいという感触があった」と岡田は言う。

 昨年4月、遺跡入り口の「縄文時遊館」を増築、国宝展示が可能な「三内丸山遺跡センター」として開館した。職員はここを拠点としている。研究は1997年から毎年「年報」を発行し、成果を発表している。

 課題だった資金は、市民の協力も仰ぎ、寄付金などをベースに基金30億円を確保した。

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 吉野ケ里と対比される纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)は、公園化が難しい立地条件もあり、情報発信を重視した。実は、桜井市は2009年の大型建物遺構確認後、吉野ケ里を念頭に施設再現を計ろうとした。後に纒向学研究センター所長となる寺沢薫(69)は意見を求められて述べた。「一発屋みたいな形で何か造っても駄目。100年の地道な研究の上で保存と活用を」

 この意見を基に12年、センターが開設された。兼任も含め研究職員は10人。毎年「紀要」を発行する。その活動は高く評価されている。出土品の一つ、祭祀(さいし)用と考えられるモモの種の年代が、卑弥呼の時代と重なるとした論文は、邪馬台国畿内説を補強するとして新聞各紙を飾った。

 寺沢は吉野ケ里にエールを送る。「専門家を10人ほど配置して、研究と発信を積み重ねないとあかん。吉野ケ里なら何十年も続けられる資料があるはず」

 高島の思いも同じだ。「発掘で出たものはもちろん重要だが、その分析から何が言えるかが一番大事」。集落の全容が分かっているからこそ、遺構や遺物を多様な角度から調べ、弥生時代を解き明かすことができる。吉野ケ里は、まだまだ可能性を秘めている。 (敬称略)

 =おわり

 (この連載は古賀英毅が担当しました)

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