「小さい町でさえも…」兵器試した海 対岸には

西日本新聞 長崎・佐世保版 平山 成美

戦跡をたどる 現地からの報告(5) 魚雷発射試験場跡(川棚町三越郷)

 穏やかな大村湾に面する川棚町。海軍鎮守府が置かれた佐世保市に近く、特攻艇「震洋」の訓練所など軍施設が数多く配された。同町三越(みつごえ)郷の岬の突端、魚雷発射試験場跡もその一つだ。

 「小さい町でさえも戦争に関わっていました」。町戦時遺構ボランティアガイド協議会の貢修会長(71)と古川恵美副会長(45)が案内してくれた。まず目に飛び込んできたのは堅固な石造りの建物。屋根は戦後、連合軍が空から監視できるよう撤去したという。ここでは魚雷の検査や酸素を詰める作業が行われた。

 燃料を燃やす際に空気ではなく酸素を用いると、排出成分の多くは水に溶けやすい二酸化炭素(CO2)になる。航跡が分かりにくく、敵艦の回避行動が遅れる。日本だけが開発に成功した。

 弾頭に爆薬を搭載して艦艇の腹に突っ込む魚雷には高い精度が必要だ。試験では海に延びる突堤の先端までトロッコで運ばれ、発射。コンクリートで覆われた電話ボックスのような建物で作業に当たったとみられる。試験項目は速度や燃費、進む角度。1キロごとに小船で待機した検査官が一直線に並び、通過すれば旗を上げて知らせた。

 現地で説明を聴いていると、海中を進む魚雷の様子がイメージできた。当時の名残か、湾の対岸には今も魚雷関連工場がある。

 「日本は被害を受けたイメージが大きいけれど、加害の立場でもあったことを考えてほしい」。古川副会長の言葉が耳に残った。

 (平山成美)

※記事・写真は2020年05月04日時点のものです

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