「死体は荷物のごとく」運ばれる被爆者…酸鼻を極めた現場

西日本新聞 長崎・佐世保版 山本 敦文

戦跡をたどる 現地からの報告(6)佐世保海軍病院諫早分院跡(諫早市永昌東町)

 2022年度の九州新幹線西九州(長崎)ルート開業に向けて、駅舎や高架の建設が進む諫早市永昌東町。道沿いに「佐世保海軍病院諫早分院」と刻まれた石碑がある。75年前の8月9日、分院は原爆が投下された長崎市から救護列車で運ばれる被爆者であふれた。

 酸鼻を極めた現場を、当時の医師や看護師らが書き残している。

 「担架で運び込まれる人、歩ける人(中略)やけどとけがで血にまみれて自分がどこにいるのか分からない様子」

 「背中一面にガラスの破片が突き刺さり、引っ張っても取れない」

 「火葬が間に合わず、死体は霊安室に荷物のごとく重ね…」(佐世保海軍病院諫早分院の会編「あの日よ再び来ないで」より)

 軍医少佐の勝正敏医師=1994年、83歳で死去=は投下直後に救護隊として現地に入り、翌日に分院に戻って治療に当たっている。外傷がなかった患者が1週間後に髪の毛が抜けて亡くなり「原爆の恐ろしさを身をもって知った」。遺族によると、勝医師も後に被爆者と認定された。

 長崎原爆戦災誌によると分院に収容された被爆者は諫早市内で最も多い600人。混乱の中、放射線にさらされながら治療拠点として命を支えた分院は、世界各国で医療従事者が感染リスクに直面する新型コロナウイルスの現場とも重なる。戦後75年の今は「平和」なのか。それとも-。

 石碑は79年に勝医師らが建立した。分院跡には今、地域医療の中核を担う総合病院が立つ。 (山本敦文)

 =おわり

※記事・写真は2020年05月05日時点のものです

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