【政治について語ること】 平野啓一郎さん

西日本新聞 オピニオン面

◆タブー視せずに今こそ

 「政治について語ること」は、依然としてタブー視されがちである。政治は立法を伴って、一つの社会システムを形成するために、対立する意見に優劣をつけ、選択を迫ることになる。検察庁法改正によって、内閣や法務大臣に、幹部検察官の定年及(およ)び役職定年を延長させる権限を与えるという案については、賛成か反対かのいずれかである。

 私自身は、三権分立の原則から、また政権に近いとされる黒川弘務東京高検検事長(22日辞職)の脱法的な定年延長の追認という目的が見え見えであるので、法案には反対だった。

 政治の議論は、互いの違いを認め合う次元であれば、「そんな意見もあるよね。」で済むが、根本的には、私たちが生きるこの社会の「あるべき姿」に関わっており、それ故に、選挙でどの政党に投票するか、といった現実的な選択になると、分断と対立が引き起こされがちである。

   ◆     ◆ 

 絶対に認められないことがある一方で、例えば、夫婦別姓制度などは、是か非か以外に選択制という第三の道がある。「妥協」というと、「敵-友」といった単純な二項対立的政治観に立てば、否定的な意味となろうが、本来は読んで字の如(ごと)く、多様な人間が共存するための必然的調整であり、その妥協点を模索する過程こそが、政治にとっては重要である。

 日本の選挙制度は命令委任ではなく自由委任だが、現実には、政党が作られ、公約が示され、有権者は世論を通じて政治家の行動をチェックしつつ、間接民主制を機能させている。敢(あ)えて言えば、選挙はたかだか、議会の構成を決定するに過ぎず、勝てば政権与党に近づくし、その後の立法過程でも有利だが、負ければ不利というに過ぎない。

 それでも、多様な人々がこの社会に存在していて、その代表が集結しているという事実は、まさに議会に於(お)いて現前しているのであり、政治はその反映でなければならない。選挙で負けたからには、野党は与党に従うべきだ、などというのは、浅薄な誤解であり、だからこそ、強行採決などは許されないのである。

   ◆     ◆ 

 私たちは、民主主義国家の国民である。この国をどうしたいか、どうすべきか、どうできるかは、私たち一人一人が考え、政治参加を通じて実現してゆくしかない。

 小説家は架空の物語に浸っていろ、俳優は芝居だけで十分、飲料メーカーの社員はジュースのことだけ心配していろ、……などというのは愚論であり、それぞれに出版業界、エンタメ産業、飲食業界に属する社会人であり、消費者であり、家族の一員でもあれば、地域の住民でもあり、また、感染症に罹(かか)る一個の人間でもある。

 勿論(もちろん)、年がら年中、政治の話をしている必要はないし、態度を決めかねて言及できない問題もあろう。意見の異なる人からは批判もされるが、よく調べ、よく考えて、かえって理解が深まることもある。同意しないのも自由である。他方、共感し、賛同してくれる人からは大いに勇気づけられる。生きるか死ぬか、という切羽詰まった状況では、必死の叫びを上げるべきだろう。政府が横暴であるならば、ただ反対で十分であり、現状で問題がないならば対案など必要ない。

 政府の能力を見限れば、不支持を表明することである。追い詰められれば、与党も野党も、後任を立てるだろう。しかし寧(むし)ろ、市民の側から相応(ふさわ)しい人間を見定め、代表として国政の場へと送り出さなければならない。

 日本の現状は、決して楽観できない。今、「政治について語ること」を避けて、いつ語るのか。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年に「日蝕」で芥川賞。「マチネの終わりに」で渡辺淳一文学賞。「ある男」で読売文学賞。本紙朝刊で「本心」連載中。

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