埋もれる友に吹く風 神屋由紀子

西日本新聞 オピニオン面 神屋 由紀子

 シベリアの夏は暑い。酷寒の地というイメージのせいか日差しが一段と強く感じられ、やぶ蚊がまとわりついた。

 5年前の夏、ロシア極東のハバロフスクに住む田中猛さんとシベリアを旅した。

 当時88歳。長崎県出身で終戦後、ソ連軍によって旧満州から強制的にシベリアへ送られた人だ。4年間の抑留後、日本に帰国したが、1995年にロシアへ移り住んだ。

 初対面の時、紫煙をくゆらせながら苦笑し、こう切り出した。「記者が期待するようなつらい話はしませんよ」

 抑留者が体験した過酷な境遇は酷寒、飢餓、重労働から「シベリア三重苦」と俗に表現される。なぜそんな記憶の残る地に戻ったのか。

 日本政府が建立したハバロフスク郊外の慰霊碑に行った時、こんな話を口にした。

 碑の完成記念パーティーで日本人関係者がカラオケを歌い始めたという。「死者を悼む場のはずなのに」。地元の人も戸惑っていたあの時の違和感は忘れられない、と田中さんは巨大な碑を見上げた。

 政府による抑留死亡者の身元調査、遺骨収集は今も続く。ソ連の強制移送から75年経ても全容は未解明のままだ。

 「悲劇は突然起こるわけではない。日本がポツダム宣言を早く受け入れていれば抑留はなかっただろうし、歴史の中でたまたま私は殴られる側にいただけ。戦争も抑留も日本人は総括できていない」

 今月7日、ハバロフスクから田中さんの訃報が届いた。

 抑留で「極限状態に置かれた人間の赤裸々な姿を目の当たりにした」と回想し、くしくも「人生の原点」になったロシアに終(つい)の棲家(すみか)を求めた。「人生最後の時間をどう使うのかと考え、どうしてもロシアへ行こうとなった」

 田中さんを故郷の小浜温泉に案内したことがある。夕刻、静かな海原に沈みゆく太陽を見た。明日死ぬかもしれない絶望的な抑留生活の中でも一日の重労働を終えて見た夕日に「もっと生きたい」と強く思ったそうだ。小浜の原風景に重ねていたのだろう。過酷な境遇で自分を見失わず、生き抜く強さを持っていた。

 田中さんはロシアに移住した年の夏、最初に入れられた収容所跡を訪れている。

 <風渡り眠れる友と夏草と>と句が浮かぶと、あの当時の仲間の声が聞こえてきたという。「なぜここで死ななくてはならなかったのか」と。「彼らはまだ眠っていない。埋もれる友、と詠むべきだ」

 以来ほぼ毎年、夏に通っていた。私もそこに同行した。今、収容所跡の原野に吹いてきた涼風と真っ赤な夕日を思い出す。 (論説委員)

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