平野啓一郎 「本心」 連載第255回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 そして、彼女の口からは、何となく顔を見合わせながら集まってきたような単語が、順番も守らずに、僕の方に歩み寄ってくるのだった。僕は、その都度、内容を整理して、確認するように聞き返したが、そうすると、「そうですね、……そんな感じです。」と頷(うなず)いた。

「ミャンマー人のお友達は、いないんですか?」

「いないです。……みんな、日本語がうまいから。」

 僕は、もっと訊(き)きたいことがあったが、答え難(にく)いような質問を、立て続けにしていることが憚(はばか)られて、そのことを謝った。ティリは、「はい。……大丈夫です。」と首を横に振っただけだった。

 彼女が一体、どうやってこの歳(とし)まで生きてきたのか、僕は不思議だった。しかし、それは彼女が外国人だからなのだろうか? それとも、日本人でも、同じ問題を抱えている人は少なからずいるのだろうか? 彼らは、外見からはティリ以上に、その言語能力の問題が理解されないだろう。僕は、古紙回収の仕事をしていた時に一緒だった、あの無口な、居眠りしていない時にはずっとゲームをしていた男性のことを思い出した。もし彼が、僕と会話したくないのではなく、出来なかったのなら?

 そして僕は、高校も出ていない自分が、どうしてこんな風に、言葉に不自由することがなかったのだろうかと、初めて考えた。それはやはり、読書家だった母のお陰(かげ)ではあるまいか。VF(ヴァーチャル・フィギュア)として再現され、つい先日、一人の英文学者の臨終を、コールリッジの詩に耳を傾け、看取(みと)ってやった母。……

 僕は、少し話題を変えるために、

「じゃあ、仕事以外では、家にいることが多いんですか?」

 と尋ねた。

「はい。ゲームしてます。あと、VRとか。」

「じゃあ、アバターで人と会ったりしてるんですか?」

「そうですね、はい。……石川さんも持ってますか?」

 ティリが僕に質問をしたのは、これが初めてだった。

「持ってますよ。<あの時、もし跳べたなら>って知ってます?」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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