中村哲さん長女、亡き父の口癖胸に…受け継ぐ意志 静かに語った決意

西日本新聞 社会面 中原 興平

 昨年12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた故中村哲医師の長女秋子さん(39)が、父の意志を継いで同国の復興支援に携わり始めた。幼い頃から間近で見聞きし、関心を抱いてきた父の事業。訃報の後に触れた現地や支援者の悲しみの大きさから改めて意義を知り「父の邪魔にならないように」と抑えてきた思いが湧き上がった。「今後は事業に重きを置いて生きていきたい」。訃報から間もなく半年。亡父の面影が残るまなざしで、静かに語った。

 16日夕方、哲さんを支援してきた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」。人けの少ない週末の事務所で、秋子さんは黙々とパソコンに向かい、哲さんを紹介する記事を会として記録する作業をしていた。「一から勉強の最中です」。医療事務の仕事の傍ら、事務所に来られるのは2週に1度ほど。スタッフに教わりながら、深夜まで続くこともしばしばだ。

 休憩時間には思い出話になることも。哲さんが用水路建設のために土木を独学し、秋子さんの教科書で数学を学び直したというエピソードに話が及ぶと「教科書は返ってこないままなんです」。先生らしい、とスタッフも笑顔を見せた。

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 異国での人道支援に半生をささげた父の姿を間近に見てきた。4歳の時から7年ほど一緒に暮らしたパキスタン・ペシャワル。家では朗らかな父が、病院では真剣な表情で患者と向き合う姿を見て「すごいことをしているんだ」と感じたことを覚えている。

 井戸掘り、用水路建設と事業は大きく展開する。帰国するたびに、哲さんが問わず語りに明かす現地の様子に聞き入った。「お父さんらしいけれど、できるのかな」と首をひねっていた計画が実現し、舌を巻いた。「恥ずかしいから来んで」と冗談交じりに言われていた各地の講演会に、何度もこっそりと足を運んだ。

 「危ないから行かないで」と言ったことはない。それを知った上で現地に赴く父を困らせたくなかった。

 「だから、覚悟がなかったわけではありませんでした」。昨年12月4日の訃報をそう思い起こす。翌日に向かった首都カブール。大統領から直接弔意を伝えられ、作業現場周辺の長老たちも遠路を駆けつけてくれた。多くの市民が追悼の集いを開いたことも知った。父の事業の重さと、父が危険を冒して向き合ったアフガンの苦境が身に染みた。

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 帰国後、悲しみの日々で脳裏に浮かんだのは、現地の人たちの姿と、父の口癖だった。「自分にできることをする。やれんことはやれんたい」。会の事務所に足を運ぶようになった。

 「事業の理解を広げるための広告塔でも何でも、私が具体的にどうお役に立てるかを考えていきたい」と秋子さんは話す。同会の村上優会長も「会員は先生自身を尊敬し、親しみを抱いてきた。その意味で秋子さんは会の象徴でもある」と期待する。

 小柄で落ち着いた雰囲気、印象的なまなざしは「先生にそっくり」と会員たちは口をそろえる。「そんなに似てますか」とはにかむが、最近、哲さんが特に好きだったバラを自宅で育て始めたという。 (中原興平)

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