普賢岳6・3火砕流から29年…「手探りだった」医師が語る最前線

 43人が帰らぬ人となった雲仙・普賢岳(長崎県島原市)の1991年火砕流災害から、また節目の日、6・3を迎える。当時、救急医療の最前線となった県立島原温泉病院(現在は県島原病院)のスタッフだった徳永能治(よしはる)医師は「模範事例もなく備え、最善の道を考えた、今で言うトリアージに徹した現場だっ...

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