地の果てから(2) <ハンセン病>医師としてやるべきこと【中村哲医師寄稿】

西日本新聞

<1987年9~10月に本紙夕刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載「地の果てから パキスタン北西辺境の人々」(全17回)>

 一九八二年に、JOCS(日本基督教海外医療協力会)の意をくんで医療協力対象の候補であるペシャワール・ミッション病院に下見に赴いたことがある。

 病院は一八九〇年に設立された由緒あるものであるが、現在では市中にカイバル医学校付属病院、公営の卒後研修病院が設立され、昔日の権威はなくなった。しかし、心身障害児センター、ハンセン病棟等をもち、人々に顧みられにくい患者を対象に、今なおペシャワールでは先駆的な医療を担おうと努力している。病院は、医師五人、看護スタッフその他約八十人で、規模は決して大きくはない。眼科八十床、内科・外科四十床、ハンセン病科五十床(一九八七年)の構成である。障害児センターは形の上で別組織であるが常時数十人の児童を対象にリハビリテーションが行われている。

専従医師は6人

 私としては、よりニーズが高いにもかかわらず、力が注がれていないハンセ病棟に努力を集中するように決めていた。内科や外科ならば、水準は高くなくとも多くの医師が現地にいる。しかしハンセン病となれば、パキスタン全土で数万人以上の患者を抱えながら全国で専従医師六人、うち外国人三人で、北西辺境州では皆無という状態であった。外人医師として働く意義を考える時、よりゆきとどかぬ所へ努力を、というのが私とJOCSの方針であった。

 ここでハンセン病について少しふれておきたい。

 これは結核菌と近縁のらい菌によっておこされる感染症で、主に皮膚と末梢神経を徐々におかす。進行すれば顔面や四肢に変形をきたし、神経まひとともにしばしば手足や目の機能障害をきたす。古来、本病は世界的に共通して特殊な差別の対象となった疾患である。日本でもかつては隔離収容され、保健対策というよりは浮浪者取り締まりのごとく扱われたことは記憶に新しい。我が国では現在約八千人の患者数で、新患者の発生はほとんどなくなり、疾病そのものは偏見をおき去りにしたまま終息に向かいつつある。

発展途上国に集中

 しかし全世界的にみると、推定患者数千五百万、うちわずか三百五十万人が治療下にあるという(WHO統計、一九八〇年)。多発地は発展途上国に集中している。抗治らい薬の出現で「ハンセン病は治る」と高らかに宣言されて三十年以上になるけれども、発展途上国ではスタッフ・資金不足等で対策は今なお難航しているのが実情である。

 ハンセン病の治療は単に薬を与えるのみではない。皮膚科学、内科学、神経学、整形外科学と広範囲にわたる治療の局面があり、これに加えてリハビリテーション、長期の投薬態勢、保健衛生対策とのかかわり、社会的偏見下のソシアルケースワーク等、文字通りの総合医学である。医療の精神の問われる根源的なものを秘めている。

数を控えめに発表

 現在では原則として外来治療で、合併症のためにやむをえぬ場合だけ一時的に入院させる。また早期治療が重要なことはいうまでもなく、かつてのように変形をおこした進行した患者を病院で待っているのは駄目で、積極的に早期発見の努力が行われている。

 しかし、発展途上地域で本病の対策が遅れているのは十分な理由がある。他疾患に比べて発生数は比較的に少なく、感染力も弱く致命的な病気ではない。また一人当たりの治療費は多額となる。いきおい、少ない予算の中で重点がおかれるのはより急性で犠牲者数の多い疾患にならざるを得ないのである。WHOの方針も(1)急性で致命率の高いもの(2)多くの人々に影響を与えるもの――を優先して対策がたてられる。天然痘のような華々しい対策がたてられることはないとみてよいだろう。また、本病を多数抱えることは国の恥とみるむきもあり、その数は常に控えめに発表されることも対策の立ち遅れの一因となりうる。

発生は貧困と比例

 本病の発生は貧困と比例する。そして同時にその社会のどん底に触れる問題でもある。表から見えぬ人々の生活を下からうかがい知ることができる。人間的事象のあらゆるもの、気高さも醜さも含めて治療者はそれにかかわらざるを得ない。これは医師としての私にとっても医療の何たるかを改めて考えさせられる大きな契機となった。

 岡山県長島の邑久光明園でさまざまなご指導をいただき、スタッフ、患者とのふれあいを通じて、失礼な言い方だが日の当たらぬ分野で、多くの心ある医療従事者がこの問題と格闘してきたか、華々しい医療分野に注がれがちな私の目が洗われる思いがした。

(医師・パキスタン在住)


 

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