地の果てから(3) <物乞い>自尊心を守る必死の営み【中村哲医師寄稿】

<1987年9~10月に本紙夕刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載「地の果てから パキスタン北西辺境の人々」(全17回)>

世界最大の部族社会

 パキスタン北西辺境州の九割を占めるのがパターン部族で、人口約千五百万人を超える世界最大の部族社会といわれている。約半分がアフガニスタン側に住む多数派民族でもある。

 「パターン」とは母語であるパシュトゥ語の「パシュトゥン」の英語なまりである。アーリア系の人種でその起源は定説がないが、古代からスレイマン山脈を根城にしていたといわれている。アブラハムの子孫でその歴史七千年と自称するが、真偽は分からない。

 大ざっぱに、部族―氏族(ケール)―家族の構成で、辺境になるほどその絆がよく保たれている。部族同士の抗争はあるが、彼らは共通して独自の共同体規制を保持し、近代的な国家や法の概念をうけつけない。

 この共通の掟(おきて)をパクトゥヌワレイと彼らは呼んでいる。すべてのパターン人はイスラム教徒であり、この掟はイスラム教の徳目と遊牧民的な部族制の秩序が混合したものといってよかろう。

単純で好戦的

 復讐、聖戦、客人のもてなし等々は有名であるが、概して彼らは単純かつ好戦的で、異常にプライドが高い。対立割拠、闘争はこの社会の基本的色調で、争いのないパターン人というのは想像できない。二十世紀も末になった現在、いまだに小規模な征服戦争が行われるのを初めは信ずることができなかった。

 赴任してまもなく、理由が不明のまま入退院を繰り返している患者がいた。カルテには「社会的理由により」と書いてあったので理由を問いただした。患者は比較的民心の温和なスワト地方の出身であったが、「敵に追われて逃げ隠れしている」という。

 隠れ場所に病院を提供するのは不当に思われたので、「警察に言いなさい。いやしくもここは病棟であるから」と入院を拒否した。すると、何のことかと不思議そうにキョトンとしている。たまたま彼を知っている患者がおり、先生は何にも分かっちゃいないんだなとばかり説明してくれた。

乞食しながら逃亡

 事情はこうであった。以前目が急に悪くなって入院している最中、彼の敵が家族を襲い、兄弟二人を殺した上に土地を奪った。彼はただちにその復讐で帰郷したが緑内症で失明し、戦うこともできず、逆に乞食をしながら逃亡しているということであった。

 私はその時他の患者たちからの冷たい視線を感じたので、確かに「ソシアルケース」にはまちがいないと思ってやむなく入院させた。しかし彼は数週入院したかと思うと退院し、数週後にまたふらりと戻ってくることが多かった。聞けばスワトの親戚を訪ねてゆくのだという。

 ある日病院から遠くないキッサハーニ・バザールという大通りを散歩していると、「アッラーは喜ばれます。おめぐみを」とやにわに私の足に抱きついてきた盲目の物乞いがいた。よく見ると例の患者だったので、小銭を握らせて何くわぬ顔をして翌日病棟で待っていたところ、果たして彼が戻ってきた。

芝居じみた演技で

 「スワトはどうだった。家の方々も御無事で?」と聞くと、

 「お陰様で。いや、いろいろございまして。足の傷は悪くなるやら体が痛むやらで今朝ペシャワールについたばかりです」

 「まさか物乞いのようなまねはしとらんだろうな?」

 「とんでもない。パターン人の名においてうそはつきませんぞ!」と声高になり、体をよじって痛みを訴え始めた。そのしぐさはいかにも芝居じみて一目でそれと分かる演技である。

 ここで怒ってはいけない。この男がうそつきで傲慢(ごうまん)とみるのは外国人の尺度である。彼の物乞いも、作り話も、落ちぶれた身の上で何とか自分の生活と自尊心を確保しようとする必死の営みなのである。ここは武士の情である。「いや冗談々々」と言って、もうすっかり見慣れた彼の巨大な足底潰瘍(かいよう)の状態をまず調べ、手当てを始める。事情を知る患者の苦笑をかたわらに励ましの声をかける。

バザールの「内職」

 これがまるで月間行事のように繰り返されたので、ついには暗黙の儀式のようになってしまった。私の方も長年のうちに特別の愛着をこの患者に持つようになったし、少なくとも彼の落ちぶれの身の上話は本当であったから、バザールでの「内職」は黙認していた。

 そのうち患者はカラチの方に移転することになったので、私は笑いをこらえて移転報告書を本部にしたためた。所かわれば品かわるである。

 「……本患者は、急性緑内症により失明し、やむをえざる家庭の事情によって身寄りなく、浪々の生活を余儀なくされている。幸い多少の収入を協力者によって得ており、共同体の中で自活の道を開きつつある。カラチの方が彼にとり安全、かつ収入も多いと思われる。今後ともよろしくお世話をいただきたい」

(医師・パキスタン在住)

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