「鏡」が曇ってませんか 井上裕之

西日本新聞 井上 裕之

 忘れたころにやってくるのは天災だけではないようだ。

 「アベノマスク」。待っても一向に届かないし、市販品が出回り始めたので忘れかけていた。それが25日、ポストの中に入っていた。新型コロナウイルス封じ込めへの緊急事態宣言は同じ日に全面解除された。家族はぽかんと口を開けていた。東京に住んでいてこれだから、全国に行き渡るのはかなり先だろう。

 「3密」は今や流行語となった。密閉、密集、密接を避ける行動は定着したようだ。半面、政府の取り組みはちぐはぐで、どこか心もとない。各種世論調査を見ても、評価する人は半数に満たない。

 混迷が続く根本原因はどこにあるのか。政治を大きな視座で捉えるとき、安倍晋三首相らに心得ておいてほしい別のキーワードがある。

 「三鏡」。リーダーに必要な「銅の鏡」「歴史の鏡」「人の鏡」の三つを指す。中国唐代の明君、太宗の言行録で記されている。本紙の大型コラム「提論」の執筆者、出口治明さん(立命館アジア太平洋大学長)が著書の中で紹介し、重要性を説いている。

 「銅」は当時の鏡で、そこに映る顔が元気で明るい表情かチェックすること、「歴史」は過去の出来事から学ぶこと、「人」は部下の直言や忠告を受け入れること。これらは現代にも通じる要諦である、と。当たり前のようで、実践は意外に難しいのではないか。

 人は権力の地位につくと、自身の姿が見えなくなる。在位が長期化すると、付託された権力を私物のように錯覚する。過信や慢心は人相にも表れる。学ぶべき過去に背を向け、側近をイエスマンで固めて独善に走る。失敗が重なると、非を取り繕おうとして朝令暮改に陥り、混乱のあげく人心は離れていく-。

 今の国政に照らすとどうか。未曽有の事態への対処には試行錯誤が伴う。それは当然として、感染爆発は取りあえず回避された。それでも内閣支持率は急落している。

 「ファクターX」。日本の感染者や死者は欧米に比べて少ない。その要因をiPS細胞研究者の山中伸弥さんはこう表現している。衛生意識や医療水準の高さに加え、ほかにも何かが起因している、という医学的な見立てだ。

 政府からすれば、何よりも諸対策が的確だったと言いたいだろう。しかし、それは今後の推移を見てからの話。現段階で最も高い評価を受けるべきは国民の努力だろう。

 「鏡」はあるか、仮にあっても表面が曇っていないか。為政者の窮地は、自らの使命と職責を忘れたころにやってくる。 (特別論説委員)

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