平野啓一郎 「本心」 連載第260回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 イフィーとの接続は、問題なかった。

「僕はほとんど外出しないですけど、池袋は特に、全然来ないんです。もっと早く来てもらって、朔也(さくや)さんに少し、散歩してもらえば良かったです。」

「広いですしね。西口の公園は、野外劇場とかあって、賑(にぎ)やかですよ。僕も、あんまりその辺は歩きませんけど。」

 イフィーの表情は、少し硬かった。彼に頼まれる日常的な雑務では、外出時も指示を受けるだけのことが多くなっていたので、リアル・アバターとして同期するのは久しぶりだった。情けないことに、僕は他人の体の代理を務める感覚を鈍らせていて、イフィーに気を取られて、人にぶつかったり、横断歩道に進入して来るバンに轢(ひ)かれそうになったりした。以前は、決してこんなことはなかったが。

 イフィーは、車の往来を殊に気にして心配した。僕は、彼に恐怖感を与えてしまったことを謝った。彼の麻痺(まひ)した下半身は、今でも、<あの時、もし跳べたなら>という少年時代の事故の一瞬に浴したままなのだった。

 

 三好はテナント・ビルの入口前で、ケータイを弄(いじ)りながら待っていた。近づいて来た僕に気がつくと、顔を上げて、怪訝(けげん)な目をした。

「……仕事中?」

 そして、カメラに映りたくなさそうに、少し顔を伏せた。

「大丈夫です。イフィーさんなので。」

「イフィー?」

「『そうです。』と言ってます。」

「なんで? 朔也君、今日、何の待ち合わせか説明したよね?」

「はい。すみません、僕が誘ったんです。でも、待ち合わせの目的は伝えてなくて。――『ただ、ちょっと、驚かせたかっただけなので、僕はここで失礼します。』って言ってます。『すみません。』とも。」

「いや、……いいんだけど、じゃあ、イフィーも一緒に見る? サプライズじゃなくなっちゃうけど。もうすぐ、誕生日でしょう? プレゼント、朔也君と選ぶつもりだったの。」

「『え、そうだったんですか?』と。」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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