五輪選手輩出「臼杵高プール」 完成90年、改修重ね今も現役

西日本新聞 大分・日田玖珠版 稲田 二郎

 完成から90年たつ歴史的なプールが大分県臼杵市にある。臼杵高50メートルプール。数々の五輪選手を育み、「フジヤマのトビウオ」と言われた古橋広之進氏らが合宿を張った場所でもある。建設の経緯をたどると、日本泳法山内流が伝わる臼杵の人々が最新のプールの建設に奔走した様子が浮かび上がってくる。

 「臼杵高校百年の歩み」によると、建設は1929年。当時県内唯一の公認プールで、ここで猛練習した3人が五輪選手となっている。東京大会(64年)1500メートル自由形6位入賞の佐々木末昭選手▽メキシコシティ大会(68年)100メートル、200メートルバタフライに出場した高田康雄選手▽ミュンヘン大会(72年)水球に出た橋本博選手である。

 五輪入賞を果たした佐々木選手は旧佐賀関町生まれ。小学5年で父を亡くした後、アルバイトをしながら中学に通った苦学生だった。別の高校に通っていたが、水泳の素質を買われて高2時に編入。中央大へ進み、五輪へと駆け上がった。

 このプールではヘルシンキ大会(52年)直前の5月、古橋広之進氏ら日大水泳部出身者も合宿を張り、参加者からは2人の銀メダリストが生まれている。

 ちなみに県内初の五輪選手で、ロサンゼルス大会(32年)高飛び込みに出場した石田英勝選手も旧制臼杵中の出身。進学した慶応大を卒業後に五輪に出場して8位入賞。大会後に映画界へ進出したことがきっかけでアマチュア規定に抵触したとみなされ、入賞記録を抹消された。45年にフィリピンで戦死したとされる。

     ◇    ◇

 臼杵に受け継がれる山内流は1822年に四国松山の山内久馬勝重が臼杵藩士稲川清記に伝えたのが起こりとされる。立ち泳ぎをしながら、矢を射たり旗を携えたりする水軍の武術の一科で、臼杵では多くの子どもたちが幼少時から泳ぎを学ぶ。

 その「水泳の本場」に本格プールを建設するよう主導したのは旧制臼杵中教諭の志村弘氏(1884-1971)。日体大卒で、山内流の保存・振興や日本水泳連盟大分支部の創設などに携わった人物である。

 プールに残る「建設趣意」のプレートには、世界で戦うような新しい泳法の開発にはプールが必要と判断し、同窓会や保護者の協賛を得て建設したとある。

 資料によると、新型プールの必要性を感じていた志村氏は設計図を作り、経費を2700円と算出したが、不景気もあって頓挫。数年後に技師に頼んで計画を練り直すと3倍の7600円に膨れており、25メートルプールに変更しようとなった。

 潮目を変えたのは生徒の頑張りだった。この時期に行われた県大会で臼杵中は1着をほぼ独占。寄付が殺到し、大阪の同窓生からも支援を受け、着手にこぎ着けたとされる。

 臼杵はその後、県内で佐伯と県内水泳界の覇を競い、佐伯からは現在の日本水泳連盟会長の青木剛氏や佐伯鶴城高に通った五輪選手の渡辺一平氏らが生まれている。

 志村氏の孫で県議の志村学氏(74)は「来年は祖父が亡くなってちょうど50年。その年に東京五輪があるとは」。五輪選手を輩出したプールは改修を続け、今も現役。受け継がれてきた山内流は聖火ランナーとしてその妙技を披露する。歴史と伝統は今につながっている。 (稲田二郎)

大分県の天気予報

PR

大分 アクセスランキング

PR

注目のテーマ