【コロナ禍と忖度政治】 姜尚中さん

西日本新聞 オピニオン面

◆曖昧さ 社会不安を拡大

 得体(えたい)の知れないウイルスの蔓延(まんえん)が、普段は表面に現れない現実を白日のもとにさらけ出している。私たちは今、習慣と約束、体面などで成り立つ日常の世界が引き裂かれ、ぱかっと口を開いた深淵(しんえん)から奇っ怪で醜悪としか言いようのない情念が飛び出してくる様を目撃している。

 小心で善良な普通の市民が、営業自粛で何とかやりくりしている飲食店に誹謗(ひぼう)中傷の張り紙をしたり、県外ナンバーの車を執拗(しつよう)に追い回したり、車の一部を破損したり。ネット上では、ターゲットが定まると罵詈(ばり)雑言が氾濫し、炎上した挙句(あげく)に被害者が死去した。

 もはや常軌を逸しているとしか言いようがない。しかし、それは鬼でもなければ蛇でもない、普段は善良なはずの市井の人々の言動なのだ。日常の世界では、良き父であり、母であり、夫であり、妻であり、あるいは好々爺(こうこうや)でもあるのだ。

 ではなぜ人々が豹変(ひょうへん)し、道義や人の道、場合によっては営業妨害や器物破損、名誉毀損(きそん)になるような違法行為に走るのか。「コロナ」という不気味な感染症に対する極度の不安や恐怖のなせる業であり、常識人の精神的な機能を奪い去るような情念のとりこになるということなのか。

 しかし、実際に行動するのと思いとどまるのでは天と地の差がある。その違いは何なのか。誹謗や中傷、排斥に血道をあげる人たちはどの国にもいるとしても、やはり日本に個性的としか言いようのない側面があるのではないか。

   ◆     ◆

 私は、それは「忖度(そんたく)政治」だと考えている。

 1億2千万人の人口を抱え、超高齢化が進む日本は、米国はもとより英国やイタリア、スペインやフランスなどと比べても感染者数も死亡者数もはるかに少なく、現段階では持ちこたえていると評価されても不思議ではない。にもかかわらず、不安と不信が蔓延し、それに駆られたように「自粛警察」と揶揄(やゆ)される極端な監視や干渉、攻撃的な言動が頻発するのはなぜか。

 平時や日常の世界ならば、上からの「お願い」や「要請」という名の曖昧な統治行為に対応して、下からの「理解」や「協力」という名の「同調圧力」が働き、万事丸く収まるかもしれない。しかし、今はリーマン・ショックを上回る、約90年前の大恐慌に匹敵するかもしれない経済破綻も視野に入れなければならない非常時である。

 危機的な有事に、いかにも曖昧に上と下とのあうんの呼吸で丸く収まるような、平時の「忖度政治」は機能不全に陥らざるをえない。可視化できる基準やそれに基づく指針に欠け、透明性と公開性、そして民主性の原則がなおざりにされているからである。国の最高権力者の肉声に血の通った言葉がなかなか見いだせないのも、そのような「忖度政治」の惰性に寄りかかったせいとしか言いようがない。

   ◆     ◆

 国家の中枢である検察ナンバー2の辞任に伴う場当たり的な対応に見られるように、政治が「コップの中の嵐」としか言いようのない暗闘に明け暮れているとしたら、国民は救われない。

 政治への信頼が欠けているところでは、不安や猜疑(さいぎ)心が拡大し、ウイルスに勝るとも劣らず社会を内側から侵食することになりかねない。そうならないためにも、透明性と公開性の基本的な原則に基づいて感染症対策を徹底し、国民の「生存経済」を守るための迅速な施策を打ち出すべきである。

 いま日本は、一人の最高権力者や政権だけでなく、国民全体の浮沈がかかる瀬戸際に立たされている。最低限、不信の連鎖を断つ有事の政治が必要とされているのである。

 【略歴】1950年、熊本市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了後、ドイツ留学。国際基督教大准教授、東大大学院情報学環教授、聖学院大学長など歴任。2018年4月から鎮西学院院長。専攻は政治学、政治思想史。著作に「母の教え」など。

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