コロナ禍で思い知らされた「数字の力」 医療人類学者に聞く生き方

西日本新聞 文化面 小川 祥平

コロナ禍を生きる

 <どこかの疫学者が作った数式に則(のっと)る「かもしれない」という数字が、ある個人の日々の有りようを一変させる>

 1年前の春、医療人類学者の磯野真穂(いそのまほ)さん=東京都=はメールにそう記した。相手は福岡大准教授の哲学者、宮野真生子さん。乳がん患者の宮野さんから「リスクの問題を専門的に深めたい」と誘われ、往復書簡を始めていた。

 文面は続く。

 <一つの人生の変化は、数字という圧倒的に輪郭がはっきりした客観的とされる存在の前に簡単に吹き飛ばされ(略)確率の力と罪深さを思うのです>

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 やりとりは、医療現場で磯野さんが出会った心疾患患者を念頭にしていた。リスク管理が強調される現代。大病を患った時、確率などの数字からは逃れられない。状況は違うが、今回のコロナ禍でも確率、数字の力を思い知らされた。

 重症化率は約2割。30、40代の死亡率0・1%に対して70代は5・2%。対策を講じない場合は42万人が死亡-。

 「凄惨(せいさん)な未来予想図を毎日数字や映像で見せつけられ、人々の心に恐怖が埋め込まれた」

 交通事故では年間3千人、インフルエンザは千人以上が死ぬ。しかもコロナ感染による日本の死者数は他国に比べて少ない。にもかかわらず社会は一斉に動きを止めた。「ゼロリスク」を求め、人気のない公園ですら遊具が利用禁止になったところもあった。

 「みんなプチ疫学者になったよう」。生きる上でのリスクはコロナだけではないにもかかわらず、コロナになるかならないかで生活が整理された。「その結果、命は大事という『錦の御旗』が立った。そのもとで違和感を表明することすら難しくなった」

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 「専門家と市民、管理と自由の間で、中間の議論を可能にする力を持つ」。医療人類学という学問をそう説明する。

 1976年長野県生まれ。早稲田大で運動生理学を学び、アスレチックトレーナーを目指して渡米した。ただ「自然科学は人間を数字に置き換える。そのアプローチで人間がどこまで分かるのか」との思いがあった。留学先の授業で文化人類学と出合って専攻を変更。帰国後、早稲田大大学院で博士号を取得し、患者の取材、医療現場でフィールドワークを続けてきた。

 政府専門家会議のリスク提示の仕方は、長年見てきた医療の世界での「テンプレ(定型文)」だという。一つのリスクがもたらす顛末(てんまつ)を示し、その恐ろしさを強調して行動変容を促す。今回は「感染爆発と医療崩壊」が前面に出た。ただ、同時に回避方法には柔軟性を残していた。「『3密』だって明確に定義されているわけではない」

 だが、多くの人は自らの判断を放棄した。図書館、美術館もだめ。スーパでの買い物の仕方まで指図される。普段は政権に批判的な人たちまでも緊急事態宣言を望んだ。

 「専門家を全く無視しろではない。でもすべて指示してほしいですか、それって生きていることなんですか。リスク管理と普段の生活の間で中間の議論をしないと、生活も経済も破綻して真っ暗な未来がくる」

 とはいえ、公園で感染者が出れば行政が責められる。感染すれば加害者として糾弾される。「リスクはグラデーション。他方、責任は取るか取らないかの二者択一。だからむずかしい」

 専門家側は安心できる情報を流すこと。市民側は過剰に責め立てない。ゼロリスクを求めて他者を糾弾せず、それぞれがなす生きるための工夫に寛容さを持つこと。

 「コロナもあるけど生活しても平気。そういう空気が醸成されていけばいい」

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 宮野さんとの往復書簡は、彼女の病状悪化に伴い、「死」が色濃さを増していく。それでも、未来を信じて2人の言葉のキャッチボールは続いた。出版も決まり、昨年9月「急に具合が悪くなる」として刊行。ただ、その2カ月前に宮野さんは帰らぬ人となった。

 「未来の死から逆算して今を生きるのではなく、信頼から生まれる今を踏み台に未来を作ろうという書簡を私たちは紡いだ。でもコロナ禍の社会は、リスクを避けるために最大限努力して『今』を捨てている。真逆です」

 緊急事態宣言は解除された。しかし第2波の恐れもあり、われわれは「with コロナ」の時代を今後も生きる。もう一度リスクと相対した時、「今」を捨てるのか、離さないのか。選択するのは自分自身である。 (小川祥平)

 ◇磯野真穂さんと宮野真生子さんが計20通の書簡を交わした「急に具合が悪くなる」は晶文社刊。人類学者と哲学者による「生きる」についての思索が記されている。1760円。

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