地の果てから(10) <小さな努力>編みものとハンセン病【中村哲医師寄稿】

<1987年9~10月に本紙夕刊に掲載された中村哲医師の寄稿連載「地の果てから パキスタン北西辺境の人々」(全17回)>

横柄な日本人

 ハンセン病の仕事から、よくある病院の診療風景を想像してはいけない。

 時々私の名を聞きつけてやってくる日本人たちがいる。たいていは、ありがた迷惑な高貴なイメージを抱いて来るので、想像とかけ離れた私を見て失望を隠さない。現地服を着た汚い小男が「中村先生」とわかるまでやや時間がかかる。

 ある時、私は病棟で麻ひもの染色をしていた。染色といっても、古鍋に湯を沸かし、ケロシン油のコンロでぐつぐつと煮るのである。これは大切な仕事の一つだった。染色とハンセン病治療とがどう結びつくか、少々説明を要するが、この時数名の日本人旅行者が私に会いに来た。私が当人だとわからず、英語で尋ねた。

 「日本人の医者がいると聞いたがどこだ。病人が一人いるんだ」

 その態度がいかにも横柄で、当然の権利のように日本人を優先的にしろ、という口調であったので、「先生は今お忙しい。医者ならその辺にたくさんいるから他へ行け」と、わざとウルドゥ語で答え、構わず仕事を続けていた。私と一緒に染色をしていた患者がくすくす笑いながら、「先生はいない」と身ぶりで伝えたので一行はひきあげていった。麻ひもの染色が大切な「医療活動」の一つであることが彼らにわかるはずもない。

 事情はこうである。――我々が最も手をやくハンセン病の合併症は足底潰瘍(かいよう)であった。これは、足の感覚麻痺(まひ)によって痛みを感じないために、健康人ならば単なる「足のマメ」ですむものが、ハンセン病の患者の場合、悪化させてしまう。これをくりかえすと足の裏の皮膚に大きな穴があく。そこから感染がおきて足変形の重大な原因となるのである。治療そのものは、清潔と安静を保てば数週間で治る。安静が治療の要であるが、これがなかなかわかってもらえない。強制的な手段をとればイライラが蓄積するためか、病棟でけんかが絶えなくなる。院内での暴力ざたは厳に戒めているが、私も争いを鎮めるために怒鳴れば疲れる。

静かになった病棟

 ところがある日のこと、一人の患者がこの足底潰瘍で送られてきた。器用な若い主婦で、暇つぶしに荷造りの麻ひもを使ってバッグを編み始めた。これは道具を要さず、彼女自身かなり変形した手で、なかなか素敵なものを作った。ひもさえつかめれば手法は容易である。そこで、退屈な入院生活のせめてもの楽しみにと、ポケットマネーで麻ひもを大量に買いこみ、別の患者たちに技術指導をしてもらった。これが大当たりだったのである。

 編みもの熱はたちまちゆきわたり、病棟はすっかり静かになった。さらに、私は定期的に品評会をひらいて出来栄えのよいものをランクづけして買いあげるようにした。麻ひも一キロが約六十円、一キロから約三個のバッグができる。一個作るのに三、四日はかかるから、大した出費ではない。これが収入の少ない患者には予想外に好評、暇さえあれば編みものに余念なく、しばしばなごやかに談笑して出来栄えを競い合う光景がみられた。

入院期間も短縮

 傷の治りも早くなって入院期間が短縮した。我々も予想外のこの反応にうれしい悲鳴で、なるべく良質で安い麻ひもを求めてバザールに出かけるのも日課の一つになった。患者たちは、そのうち単調なスタイルにあきてきて、装飾をこらしたり、形を変えたり、さらには色糸を使ったりしてだんだん編みもの熱はエスカレートしていった。麻ひもの染色はこうして始められた。

 品評会の時は楽しい。ABCのランクづけをスタッフと共に行う。一つ一つそれぞれに違う作品は、日本人のセンスでは評価がずいぶん異なるが、平均一個四十円から六十円で買い上げる。しかし、入院費や高価な抗生物質を長期使用することを考えれば安いものである。

地道な積み重ね

 ハンセン病の診療は決して派手なものではない。足の傷の予防のために小さな靴の工房を開いたり、麻ひもの染色に熱をいれるのも大切な診療の一つである。

 現地でも日本側でも、どうしてもどこか見ばえのする、「海外医療協力」の名にふさわしいものをという要望がでてくるのはやむを得ないけれども、実際に大きな力になるのはこうした小さな工夫の積み重ねなのである。ハンセン病の仕事を支えているのは、評価をうけにくい小さな努力であることは、日本でも変わりがない。

 私は今さらのように、このような労苦や工夫を目立たぬところで続けてきた国内のハンセン病療養所の人々に改めて頭の下がる思いがする。

(医師・パキスタン在住)

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