あの日、何を報じたか1945/6/4【特集 大空襲に備えよ 必勝の戦意が鍵 徹せよ初期防火の原理】西日本新聞の紙面から

西日本新聞 福間 慎一

 〈欧州戦終末の余勢を駆った敵側は「近く日本に対し一回の爆撃で二千機を飛ばすことができる」としている。この表現は日本国民の戦意阻喪を狙う宣伝効果を多分に含んでいることはいうまでもないが、敵が犠牲の多い本土上陸作戦に先だって爆撃だけで日本を参らせようとする魂胆を十分に残している証左だとみるべきである〉

 本土空襲の激化に備える心構えとノウハウを紹介する特集記事は▽都市▽農村▽鉄道の三つを対象に詳述している。都市部では「水道、ガス、通信連絡などは当然被害を受ける」として水の準備などを促している。その上で、爆撃機の迎撃戦を見物する行為を、強い調子で戒めている。

 〈八・二〇空襲(注・1944年8月の北九州への空襲)の際、某工場従業員が裏山でB29の空中戦を見物中、付近に爆弾が落下、死傷者を出した経緯がある。この辺にいれば敵機には発見されないであろうと高をくくっていたことが悪かったのだ。(略)右のような慢心を慎み待避すべきときにはぜひ待避すべきである〉

 当時は空襲時に国民に避難ではなく消火の努力を義務づけた「防空法」が施行されていた。「退避」という言葉ではなく、あくまで「やりすごして消火する」という意味での「退避」である。初期消火に失敗し、火災が各所で起きた場合の対処については、こう記してある。

 〈食料などの貴重品は絶対に焼いてはならぬ。しかもこれにはわずか盛り土一尺の穴を構築すればよいのだ。「備えあれば憂いなし」。一切の備えがあれば、断固防空には勝てるのである〉

 この半月後の6月19日深夜、福岡市は米軍機による大空襲を受けることになる。(福間慎一)

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