「やれることを」…銃撃から半年、中村哲氏の言葉胸に刻むスタッフ

西日本新聞 一面 中原 興平

 アフガニスタンの復興支援に尽くした中村哲医師が現地で凶弾に倒れてから4日で半年。文字通りの大黒柱を失った現地では、「ナカムラ」の名を付けた新たな幹部組織をつくり、事業を続けている。「中村先生ならどうするか」。世界中を席巻するコロナ禍の下、両国のスタッフたちは自問自答しながら、手を携えている。

 「事業再開の許可が下りました」。4月末、現地で活動するジア・ウル・ラフマン医師からの一報に、支援する福岡市の非政府組織(NGO)ペシャワール会のスタッフは顔をほころばせた。「現地の行動力の成果ですね」

 4月初め、中村医師が設立した現地のNGO「PMS」(平和医療団)の事務所がある市街地と、農村部の用水路建設現場をつなぐ橋が突然封鎖された。目的は新型コロナウイルス感染防止。相前後した政府の通達によって医療担当を除く職員は自宅待機となった。

 用水路にはメンテナンスが不可欠だ。数日後には長雨の影響で水路の一部の底が陥没。雪解け水で洪水が頻発する夏を前に、各地の用水路を点検し、補修を行う必要にも迫られていた。

 大地を潤す事業は住民の命綱でもある。「このままでは大変なことになる。再開を申し立てよう」。現地の判断に日本側も賛同。ジア医師らが何度も州政府に接触し、特例として車両4台の通行許可が下りた。

 「現地スタッフの対応は頼もしい。中村先生が続けてきた活動が、信頼されているからこそでもある」。同会PMS支援室の藤田千代子室長は目を細める。

ナカムラ委員会

 現地での活動は中村医師が1984年に始めた。医療支援を皮切りに用水路建設、農業などに幅を広げ、PMSは5部門、職員約100人で構成する。

 昨年12月4日に武装集団に襲われ、73歳で亡くなるまで、現場主義に徹する中村医師は現地と日本を行き来してPMSとペシャワール会を指揮し、計画策定から現場監督までこなした。PMSには熟練の職員も多いが、重要な問題は中村医師が判断していた。

 現在、その役割を担うのは各部門の幹部12人で新設した「ドクター・サーブ・ナカムラ・コミッティ」(中村先生様委員会)と、日本にいながらPMS総院長を引き継いだ村上優・ペシャワール会長。日本人スタッフが現地に入れない中、幹部の話し合いを密にし、重要な方針は村上総院長の判断を仰ぐ仕組みだ。

 「中村先生は技師の役割だけでも4人分の仕事をしていた」。現地からはそんな声が聞こえてくるという。「みんな必死になって代わりを務めようとしている」。藤田室長は解説する。

コロナにも対応

 中村医師は精神的支柱でもあった。不在は容易に埋まらない。全国から浄財を集めて事業を後押ししてきたペシャワール会自体、中村医師の理念に共鳴し、支援することを目的に設立された「ファンクラブ」の側面もある。

 「チーム中村」の推進力になりうるのは、中村医師が残した言葉だ。次代につなぐためにも、会は長女秋子さんらも加わり、中村医師の報告書や著書などから、事業の指針になる言葉を選び出す作業をしている。

 現地のコロナ禍は収まっておらず、5月末には改めて勤務時間の短縮が通達された。今後は新たな取水口や用水路の建設も始まる。今、藤田室長の心に浮かぶのは、難局のたびに中村医師から言われた言葉という。「ぶちぶち言っても始まらん。やれることをやるったい」 (中原興平)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ